エッセイ

五感で感じるエッセイ『イン・ラケ'ッチ!』

旅に出る理由と出会う 熊野(前編)

私が、初めて紀伊半島(熊野)を訪れたのは、7年前。
和歌山県南東部、古座川の一枚岩の前で、舞を奉納するイベントに参加した時だった。神々の国、熊野へ | 47PR

その3年後の2020年。コロナ禍の制限が残る中、地方応援の気持ちもあって、2度目の熊野へ。美(うま)し国 熊野 | 47PR

3度目は、翌年の秋。日本書紀にも登場する花の窟(いわや)や、獅子岩、鬼ケ城など、海岸線に並ぶ <海の熊野> を巡った。いずれも紀伊半島の東側である。そして、今回4度目の旅は、西側、和歌山駅からスタートした。

在来線で約一時間。笠田(かせだ)駅で下車。そこから、コミュニティバスで約30分。高野山麓のかくれ里と呼ばれる天野の里に到着。そこに、紀伊國一之宮 丹生都比売(にうつひめ)神社がある。
丹生都比売は、古代、金銀と同様の価値があったといわれる「丹」(朱)を司り、あらゆる災厄を祓う女神だという。
鳥居をくぐるとすぐ、朱塗りの大きな橋が目に入る。豊臣秀吉の側室、淀君が奉納したと言われる「輪橋」だ。
他にも、弘法大師真筆(しんぴつ)と伝わる法華経、鎌倉幕府奉納と伝わる国宝の刀、北条政子奉納と伝わる琵琶等々、貴重な重要文化財の数々が納められている(現在は複数の国立博物館に寄託)。
それは、この神社が特別な場所であることを物語る。

境内は、清らかでかつ力強い「氣」が満ち満ちていて、カメラを向けると、画面が光でいっぱいになり、被写体がほとんど写らない場所さえあった。
澄み切った空気と、静けさ。
木々の緑に映える、真っ赤な鳥居。
特に飾り立てられているわけではないのに、圧倒的な美しさだ。

運よく、ご祈祷の機会に当たり、儀式を垣間見ることができた。
壁のない拝殿に風が吹き渡る中、厳かに儀式が続く。
人の姿形は変われども、それは、1,000年前から続く同じ風景だ。

ここは、高野山へと向かう入り口でもある。

古くから、神々が宿る場所として崇拝されてきた山々は、6世紀に渡来した仏教の影響で、やがて山岳修行の場となり、そこに到る参詣道も単なる道ではなく、「山岳修行道」となった。
2004年に、三重・奈良・和歌山の三県にまたがる広大なエリアが、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録された。今年がちょうど、20周年にあたり、熊野三山では、記念の御朱印が頒布されている。
熊野参詣道(熊野古道)、高野山、高野参詣道、大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)があり、神と仏、神道と仏教、霊場とそれを繋ぐ参詣道がまるごと「資産」と認定されている。
それにしても、「陸の孤島」という言葉をいつも深く実感する旅である。
国内最大の半島である紀伊半島は、真ん中に標高1,000~2,000m級の紀伊山地を有し、年間の雨量が3,000mmを超える地域もあり、豊かな森林が育まれている山岳地帯である。そのため、県内の移動に時間がかかる。その不便さこそが、この土地の美しさを守っているのも事実だ。

和歌山駅に戻り、特急くろしお号に乗る。紀伊半島の南側をぐるっと辿って、3時間半。新宮駅へと向かう。
日本三大リアス海岸である熊野灘は、刻々と色を変え、時には、車窓の向こうに水平線に続くエメラルドグリーンの波を見せ、時には、線路に迫る奇岩を並べ、太平洋の美しいパノラマを惜しみなくプレゼントしてくれる。

日が傾き、列車は、本州最南端の潮岬(しおのみさき)を通る。
1890年、この近くで、歴史に残る海難事故が起った。トルコ船エルトゥールル号の沈没である。船員600名のうち、助かったのはわずか69名だったが、村人が総出で助け、少ない食料もすべて分け与え、全員が祖国に帰ることができた。現在に至るトルコの親日は、この事件が由縁だと言われる。
それから125年後の1985年。
イラン・イラク戦争でテヘランに取り残された邦人215人を、トルコ政府は、自国民の救助を後回しにしてまで、救援機で日本に送り届けた。このことは、「トルコは海の恩を空で返した」と言われた。
この一連の出来事を題材に、いくつもの小説が書かれ、「海難1890」(主演・内野聖陽)として映画化もされた。

渡来人が多く訪れたと言われるこの土地は、輝く海の果てを眺めながら、日々の暮らしを営み、果てからやってくる人々を受け入れ、融合していった歴史がある。
だが、すべてが平和的に融合したわけではない。
ある物語が、何度も私を熊野へと運ばせる。

日が落ちた頃、新宮駅に到着し、旅の一日目を終えた。
歴史のカギ(KEY)は紀伊半島にあり。
旅の目的地は、明日だ。

後編に続く

プロフィール

白川ゆり

CASA DE XUX代表/アロマハンドセラピスト/アロマテラピーアドバイザー
2009年~ マヤの聖地を巡るワールドツアーに参加。パレンケや先住民が住むラカンドン村等、数々のマヤの聖地を訪れる。
また、国内外のマヤの儀式において、火と香りで場と人を浄化する「ファイヤーウーマン」を務める。
2011年~ マヤの伝統的な教えを伝えるワークショップを開催。
マヤカレンダーからインスピレーションを得たオリジナルアロマミストシリーズ「ITSUKI」を制作。

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