エッセイ

五感で感じるエッセイ『イン・ラケ'ッチ!』

美(うま)し国 熊野

自粛期間、久しぶりにたくさんの本を読んだ。3か月で20冊ほど。
その中の一冊、ある紀行文をきっかけにこの旅を決めた。
自粛明けに選んだ地は、「熊野」。2年ぶり、2度目の訪問だ。

名古屋から南紀特急に乗り、3時間半。紀伊半島を熊野灘に沿って南下していき、新宮(しんぐう)駅に到着。
ここを拠点に、熊野三山と呼ばれる「速玉大社」、「熊野本宮大社」、「熊野那智大社(那智の大滝)」を巡る。
まずは、駅から徒歩圏にある速玉大社へ。
…と、その前に、駅前からバスに乗り、「神倉神社」に向かった。
実はこの神社こそ、熊野信仰の原点、熊野権現が降り立った場所であるといわれる。自然石を組み合わせた五百数十段続く石段の先にあるお社は、小さな子どもやお年寄りの参拝が難しい。そこで、誰もがもっと気軽に参拝できるようにと新設されたのが、速玉大社である。よって、新宮 速玉大社は、熊野本宮大社の新宮ではなく、神倉神社の新宮である。

それにしても、新宮が必要なほど参拝が難しいとは、一体どんな神社なのか。
その答えは、鳥居の前に立ってわかった。
…なんだ、これは?

目の前には石の壁。よく見ると石段なのだが、あまりの急勾配で壁にしか見えない。
登り始めてすぐ、体を後ろに持っていかれそうになり、慌てて、背中に回していたショルダーバッグを胸に抱え直した。
気を引き締めて、登る。
黙々とよじ登って行く。
どこまで続くかわからないが、何も考えず、ただ目の前の石段を登り続ける。
ほどなく、踊り場のような広場に出た。数人の先客が写真撮影をしたり、座って休んだりしている。
私も一息入れて、さあ、ここから!と意気込んだが、その先は拍子抜けするほど平坦で幅広な石段が続いた。まさに、最初の「壁」さえクリアすれば、あとは大丈夫。

緩やかな山道を進んでいくと、行き止まりの絶壁に、神倉神社のご神体、通称ゴトビキ岩と呼ばれる巨大な岩が現れた。
ガイドブックで見てはいたが、実際に目の当たりにすると、その存在感に圧倒される。崖の上に建つ小さなお社を後ろから支えるような、いや、むしろ、お社が岩を止めているような、あり得ないバランス。人知を超えた存在を感じずにはいられない。

新宮の町を一望できるその場所は、「神様が最初に降臨した場所」にふさわしかった。

下山して、改めて「壁」を見上げる。毎年2月6日に行われる「御燈祭」(おとうまつり)では、男衆が松明を持ってこの石段をかけ降りるというが、とても信じられない。そんなことができるのは、天狗ぐらいだろう。
なんて思った矢先、壁の上から、中学生らしい数人の男子がタンタンタンと、実に軽快に石段をかけ下りてきた。そして、鳥居をくぐってから向き直り、その先の見えない何かにお辞儀をして去って行った。

…しばらく、その場でポカンとした。
そうか、子どもの頃からこの石段に慣れ親しんでいると、どこにどんな石があるのか、どこに足を置けばいいのか、ちゃんと頭と体でわかるのだ。すごい。

「御燈祭」、是非とも見てみたくなった。

神倉神社を後にして、バスで数分の新宮 速玉大社へと向かう。
町並みに続くフラットな境内は、「壁」はもちろんのこと長い石段もない。
目の覚めるような朱塗りの社殿はピカピカで、とても美しかった。
イザナギ、イザナミをはじめ、神話の登場人物(いや、登場神様)が大勢祀られている。

本当に、ここは、神話の国なのだ。
翌朝。
熊野本宮大社へと出発する。熊野川に沿って、およそ一時間。ここでも、本宮大社参拝の前に訪れるべき場所があった。本宮大社入口から徒歩5分。巨大な石造りの鳥居が目を引く。旧大社である。もともと本宮大社は、「大斎原(おおゆのはら)」と呼ばれる熊野川の中洲のここにあった。だが、明治時代に大洪水に遭い、奇跡的に残ったいくつかの社殿を、すぐそばの高台、現在の場所に移したのだ。「大斎原」内は、撮影禁止のため、遠景写真のみをパチリ。
中に入ると、やはりそこだけ異空間のような雰囲気が漂っていた。鳥のさえずりと、木々のざわめきだけがあり、何とも言えない神聖な気配だ。「神域」とはこういう場所をいうのだろう。
地元の人らしき女性が、辺りを掃き浄めていた。こうやって、地元の人にずっと大切に守られてきたのだ。
女性の後ろ姿に思わず、「ありがとうございます」と心の中でお礼を言っていた。

熊野本宮大社は、きれいに整備された長い階段を上った突き当りに、社殿があった。そこは、昨日見た速玉大社にくらべ質素だったが、温かみを感じさせた。田舎の祖父母の家のような、不思議な懐かしい佇まい。日本人のDNAに刻まれた太古の記憶だろうか。

そして、本日のメインイベント、熊野川の川下りヘ。
船頭さん、ガイドさん、乗船客5名。小さな舟で、ゆっくりと川を下っていく。かつて平安貴族が、川から参詣したという全長16キロメートル、90分間の船旅である。
熊野川は、びっくりするほど静かだった。
途中、さざ波すら立たない場所もあり、鏡のような水面に辺りの景色が反転して映る。時が止まったかのような瞬間。
ガイドさんが吹く篠笛が1000年の時空を超えていく。
ああ、すべてが美しいなあ。

そして、3日目は那智大社と那智の滝へ。

高みからゴウゴウと流れる落ちる水音が、辺りに響き渡る。空気もひんやりとする。
清冽。
全てのケガレを祓い浄めていくようで、観光客の誰もが言葉に少なに大滝を見上げていた。

この旅は本当に圧巻の連続だった。
海・山・川といった自然と、神社の社殿や鳥居といった人工物。どれもが悠久の時を超えて、古の人々と、現代の私たちを繋いでいく。

神話の世界、熊野は実に豊かで彩り溢れた「国」だった。
自分の深いところに語りかけてくるこの地を、今後何度でも訪れてみたい。魅力いっぱいの旅だった。

行動を制限され続けたこの2020年。自分と向き合う時間を多くとれた、貴重な年だった。
もっと、日本を旅したい。
その声はそう言っていた。
これからも日本を楽しんでいこう!

プロフィール

白川ゆり

CASA DE XUX代表/アロマハンドセラピスト/アロマテラピーアドバイザー
2009年~ マヤの聖地を巡るワールドツアーに参加。パレンケや先住民が住むラカンドン村等、数々のマヤの聖地を訪れる。
また、国内外のマヤの儀式において、火と香りで場と人を浄化する「ファイヤーウーマン」を務める。
2011年~ マヤの伝統的な教えを伝えるワークショップを開催。
マヤカレンダーからインスピレーションを得たオリジナルアロマミストシリーズ「ITSUKI」を制作。

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