エッセイ

春夏秋冬「ゆる伊豆」だより

「人参そば」は思い出の味

三島市の「箱根西麓」と呼ばれる地区は、土壌の質が良く、最近では「みしまコロッケ」の材料となるじゃがいもの生産地として知られるようになった。地元では「箱根西麓野菜」ブランドとして首都圏にも売り込みをかけている。 箱根西麓の冬は、だいこんやにんじんといった、根菜の収穫で大忙し。この時期にとれるにんじんは、歯ごたえがよく甘くてコクがあり、生で食べてよしジュースにしてよし。にんじんが苦手という人も食べられると評判の味だ。

その美味しいにんじんを使った三島の郷土料理が「人参そば」である。素朴な郷土料理らしい直球のネーミングだ。千切りのにんじんがこれでもか!とばかりにたっぷり乗った、生産地ならではのそば。「かけ」でも「煮込み」でも美味い。にんじんのほか、鶏肉や細切りにした油揚げを混ぜたり、しいたけやだいこんの千切りを混ぜたりする家庭もある。にんじんが主役を張る郷土料理なんて、沖縄の「人参しりしり」以外、ほとんど聞いたことがない。

私の祖母は富士山に近い御殿場市で育ったのだが、昔からこの「人参そば」をよく食べていたのだという。私は故郷に戻って来るまで、「人参そば」が郷土料理だということを知らなかった。幼い頃、祖母が商売の忙しい合間を縫って、よくこのそばを作っていたため、ずっと実家のオリジナルレシピだと思っていた。当の祖母も、郷土料理と意識せずに作っていたのだと思う。 あるとき、郷土料理の展示会に行き、その日のお昼に食べたはずの「人参そば」が参考資料として展示されているのを見て、「あれっ?うちの定番がなぜこんなところに…?」と、非常に驚いたのだった。

わが家の「人参そば」は、しいたけとにんじんをたっぷり刻み、そばつゆと一緒にぐつぐつ煮込む。クタクタになった野菜から、本当にいいうま味が出るのだ。火を通すとにんじんはさらに甘みを増し、素材の美味しさを存分に楽しむことができる。だから、にんじんを嫌いになったことは一度もない。

ソウルフードだのご当地グルメだの、まちおこしの道具として担がれるわけでもなく、「人参そば」は長い間、三島市の各家庭でひっそりと食べられてきた。 翻って、戦後の混乱期に祖父と事業を興し、黙って祖父の後ろを付いて商売に励んできた祖母。どちらも決して派手ではないけれど、強くしなやかで、味わい深い存在だ。大げさかもしれないけれど、「人参そば」が祖母の人生そのものに重なってくる。

きっと私も、おばあさんになるまでわが家の定番として作り続け、家族と一緒に食べていくことだろう。「郷土料理」っていうのは、有名じゃなくても特別なごちそうじゃなくてもいい。家族のなかで育まれ、自然と次世代に受け継がれていくものなのではないだろうか。

プロフィール

小林ノリコ

伊豆在住フリーランス・ライター/伊豆グルメ研究家。東京の編集プロダクション勤務を経て、2005年から地元伊豆でフリーランス・ライターとしてのキャリアをスタート。2014年より静岡県熱海市を拠点に移して活動中です。47エッセイでは、四季折々の伊豆(たまに箱根)の風景や食を中心に、あまり観光ガイドに載らないようなテーマを、ゆる~くご紹介していきます。

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