エッセイ

47のシアワセを追いかけて

日本近代化の舞台を知る群馬の旅

群馬はからっ風で知られていますが、訪れた日はやわらかな日差しが降り注ぐおだやかな日でした。

世界遺産にも登録されている富岡製糸場は、明治5年に設立され、日本の近代化にも貢献した官営の施設です。大河ドラマ好きな人なら、渋沢栄一をモデルにした『青天を衝け』に製糸場のシーンがあったことをご存じかもしれません。

養蚕は中国に起源をもち、数千年以上の歴史があります。日本でも奈良時代から製糸が行われ、江戸時代には重要な輸出品になっていました。産業革命が進んだヨーロッパでは先んじて機械化が進み、明治維新後の日本では、それを取り入れて欧米諸国に伍して国力を高めるために導入されたのです。

近代化の舞台となったその場所は上州富岡駅から10分ほどの地にあります。
正面入り口に立つと、レンガ造りの東置繭所が威風堂々といった構えでそびえ立っています。どこからか、「西洋人になんか負けねえぞ」という声が聞こえてくるよう。

東西の置繭所のほか、操糸所や蒸気釜所など製造工程に関わる施設、寄宿舎、首長館、診療所など、当時をしのばせる施設が多数残っています。

中でも大勢の工女たちが立ち働いた操糸所は天井が高く、壮観の一言。
富岡製糸場は昭和62年まで実際に稼働していたため、見学できる装置の大半は昭和の頃のものですが、創建当時の日本は電灯もガラス窓もない時代。

当時、フランス人技術者が引いたメートル法の設計図面を、日本の職人は昔ながらの尺貫法に置き換えて建て、壁のレンガは瓦職人が焼き、漆喰で組み立てたのだそうです。
働き手になる工女たち(富岡製糸場では女工でなく工女と呼びます)は広く全国から集められ、本来男性がはく“馬乗り袴”を身につけて働き始めました。写真は、昭和の頃の機械の前に、工女さんたちが作業をするイメージ図のボードが置いてある様子です。

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当時のエピソードからは明治の人々の気概を感じますし、近代の産業遺産は実に見応えのあるものです。

しかし今回、私がここを訪ねた一番の理由は、先日亡くなった母が「行ってみたい」と言っていたのを思い出したからです。

母の生家は小さな製糸工場(こうば)を営んでいました。
今はもうありませんが、私自身の幼い頃の記憶として、糸を繰る機械音がシャキンシャキンと鳴り響いていた覚えがあります。

そんな音を聞きながら育った母にとって、製糸というのはなつかしさを感じるものだったのか。今となってはもう確かめるすべがありません。

もっといろんな話をすればよかった。
もっと一緒に過ごしたかった、そんな思いから、富岡を思い出して足を向けたわけですが……。

実際のところ、この旅で一番驚いたのは、建物の素晴らしさとか、明治の人々の気概でもなく、小さなお蚕さんの存在に気づいた瞬間でした。

駅を降りたってすぐの場所に真新しい世界遺産のPR施設がありました。何気なく見て回った後、出口付近に繭でつくった工芸品のコーナーがあったのです。そこに繭をつくるための簡素な枠のようなものがあり、私は見本として置いてあるのかなと思いました。

しばらく眺めていると、お蚕さんがかすかに首を振るように動いた気がして、私はぎょっとしました。

「えっ、生きてる!?」

あわてて係の人を呼び止めて話を聞くと、20~30センチほどの箱の中に、体長7、8㎝ほどの真っ白なお蚕さんが数匹飼われているのでした。

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お蚕さんは桑の葉が敷き詰められた中で飼われるものと思い込んでいましたが、そこでは桑の葉や栄養素をブレンドした緑色の飼料の塊が彼らのごはん。じっと見ていると、一部のコは繭をつくり始めています。

お蚕さんは、粒のような卵からかえると脱皮を繰り返し、1か月ほどで繭をつくってさなぎになります。繭から生糸をとる場合は乾燥させた後にゆでられて死んでしまいますが、動物の餌になったり、長野などでは郷土料理として食べられることも。

ちなみに、現在のお蚕さんは品種改良とともに家畜化されているので、人の手がなければ生きていけません。卵をとる繁殖用のさなぎは、繭の中で2週間ほど過ごすと羽化しますが、成虫になっても飛ぶことはできず、1週間ほどで寿命を迎えます。

成虫となった真っ白なカイコガも見せてもらいましたが、一般的な「蛾」のイメージとはまったく違う聖なる生き物に見えます。

1匹の蚕がつくりあげる繭1つから1000㎞以上の糸が取れるそうで、この小さな生き物が何千年も人とともに暮らしてきた奇跡的な神秘を思わずにいられません。私は着物も好きですが、一着の着物を作るのに約2,600粒の繭が必要になるのだそうです。

初めて知ったこともたくさんあり、そういえば小学生の頃に家で蚕を育てたことも思いだし、「母と話したかったな」という思いが再びこみ上げます。

でも。
四十九日も迎えていない今なら、風のようになって、実は一緒に旅をしてくれていて、お蚕さんを見つけて驚く私を、そばで笑っていたかもしれません。

プロフィール

杉浦美佐緒

愛知県出身。カメラマン・編集者を経てフリーライター。旅をはじめ、美容・健康・癒し・ライフスタイル全般を幅広く手がける。好きな食べ物は熊本の馬肉、京都のサバ寿司、仙台のずんだもち。憧れの旅人は星野道夫。旅のBGMは奥田民生の「さすらい」~♪

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