世界の地元メシ
ダブルのチキンスープ
この原稿を書いている時、ちょうど、ローソンが「日本全国47都道府県ハピろー!計画 盛りすぎチャレンジ」というのをやっていて、いつものスイーツやサンドイッチなどの具が、47%分多めに盛ってあるというキャンペーンをしていた。
試しにいくつか買ってみたけど、まあ、盛ってくれるのはうれしいけど、それで倍近く美味しくなるってもんでもないな………というのが正直な感想だ。
それで、盛り盛りの47シリーズを食べながら、倍にしてうまいもんって何だろうって考えていると、「チキンスープ」は、具を倍にすると美味しいことを思い出した。
正確には、一度とった出汁をベースにして、再度材料を加えてから濾した、味の濃いスープのことで「コンソメ ドゥーブル」のこと。クラシックな料理技法なので、たかーいフランス料理の店なんかで、たまーに出てきます。
こういうのはめったにありつけない極上品ですが、普通のチキンスープでも、具材を倍にすると美味しかったことを、思い出したよ。前にも書いたけど、カリフォルニアのシャスタってところに、数か月おきに滞在することにハマっていた時期があり、そのころに最もよく口にしたのがチキンスープ。
作り方は、大きな寸胴にまるまる一羽の鶏を入れて、セロリ、人参、玉ねぎなんかの香味野菜を放り込み、ひたすら煮込んだだけのものなんだけど、これを、行く先々でごちそうになった。
なんでかというと、当時、自己啓発系の本で「CHIKEN SOUP for the SOUL」(邦題:こころのチキンスープ)シリーズがやたらと流行っていたので、誰もかれもがそれを読んではチキンスープを作ってみたりしていたからですな。
食べ物としては、日本でいうところの具が多い味噌汁みたいな位置づけなので、その家のこだわりがあって、何軒ものご相伴にあずかっても、そんなに食べ飽きたりはしないものだったな。
くだんの本には、とっても素敵だと言われるお話がちりばめられているらしいのだが、私は本屋で目次だけでおなか一杯になったので、中身はよく知らない。だけど、この本の話をするときの彼らは、ちょっと涙目になっていることが多いので、アメリカ人のハートに突き刺さる物語なんだろうと思う。
たくさんごちそうになったチキンスープのなかで、本当に秀逸に美味しかったのが、線路わきで刺繍教室をしてた、エリザベスというおばさんが作ってくれた、ダブルチキンスープ。単に、鶏も野菜も倍にしてるだけで、何も特別なことはしていないと言ってたけど、金色に近い美しいスープに、濃厚な出汁の香りがして、湯気だけでごはん3杯いけるほど、思い出すだけでもヨダレが出てくる。
そして、調味料も塩も使っていないというのに、なぜか完璧な味付けになっているので、チキンのお肉も、一皿料理みたいに美味しかったなあ。
具材が倍なんだから美味しいのはあたりまえだよ!と思うかもしれないけど、それがそうでもないのはローソン47盛り盛りで証明されちゃったわけだから、世の中には倍にしておいしくなるものと、そうでもないものがあるってことですよ。
このエリザベスおばさん、最初は間違って一回り小さい鍋で作ったら美味しかったから、それ以来、倍にしてるって言っていた。とりあえず、作り方をそばで見せてもらったが、これと言って特筆することもない、本当に、具材を倍にしただけでした。まあ、寸胴鍋は大きい方が良いかも。
まあ、そんなチキンスープなんだけど、彼らは作ったスープがさめると、鍋ごと冷蔵庫にしまって、スープが固まってゼリー状になったものを、サラダやパンの上にのせて食べていましたね。
私は、日本の顆粒出汁が切れると、このダブルのチキンスープを作っておき、必要なときにコンソメ部分をごそっとすくって、ゼラチン出汁として使ってた。これはこれで便利。
西洋人にとってはとてもおいしいものらしく、私とシェアで住んでいたアメリカ人女性は、このチキンスープがあると、1時間に1度くらいの割合で自室から冷蔵庫に直行し、スプーンでチキンスープゼリーを一口ほおばっては、また帰っていくというのを繰り返していた。
私たち日本人に置き換えると、冷蔵庫にしまった濃厚カツオ出汁を1時間に1度、お玉でゴクゴク飲みに来るなんてしないので、もしかしたら、チキンスープは本当にこころに何か効果があるのかもしれないよね。
プロフィール
ほしのしょうこ
25年ほど雑誌・WEBマガジンなどで記事を書き散らしているフリーライター。 副業でWEBデザイナー崩れもしている。趣味は散歩と仕事。重度の放浪癖があり世界を鞄一つで浪漫飛行していた。現在は頑張って日本に定住中。