エッセイ

47のシアワセを追いかけて

カリスマおじいちゃんが遺した輝く貯金箱とは?

「人生は重き荷を背負いて遠き道を行くがごとし」

これは長らく徳川家康が残した辞世の言葉だとされてきましたが、実はそうではない可能性があるそうです。でも、戦乱の時代に長く苦難を強いられた家康がいかにも言いそう、ですよね。

私は愛知県の三河に生まれ育ち、しかも母は家康が生まれた岡崎の出身なので、家康は身近な「郷土の英雄」でした。

そもそも愛知県人にとって、信長、秀吉、家康の「三英傑」を生み出したことは数少ない自慢ポイント。名古屋は東京と大阪にはさまれ、見るべきスポットなどないかのように思われてきました。しかも、当の愛知県人はそれを卑屈にとらえてしまい、つい自虐的になってしまうんです。そう、愛知県人はめんどくさい……。

前置きが長くなりましたが、今年は大河ドラマで家康が取り上げられるとあって、当然地元は家康フィーバー。

そんなブームに乗せられ、これまで行ったことのなかった岡崎の大樹寺を訪れました。

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大樹寺は松平家(徳川)の菩提寺。今年の大河ドラマの第1回、桶狭間で織田信長に今川義元が討ち取られたことを知った家康が、織田勢から逃げるために向かったところ。追っ手が迫り、思いあまった家康は先祖の墓の前で自害しようとします。そんな重要シーン、いや、人生の転機となった場所です。

広い境内には多宝塔や鐘楼があり、どっしりとした本堂は由緒あふれるたたずまい。菩提寺ならではの松平八代の墓や歴代将軍の等身大(!)の位牌は歴史ファンには垂涎ものでしょう。初詣の時期でしたが、やはりドラマの影響か、人の流れが絶えません。

なんといっても、ここで有名なのは大樹寺から3キロ南にある岡崎城までのビスタライン。

寺の三門から総門(現在は大樹寺小学校の南門)を通して、なんと岡崎城の天守が垣間見えるのです。岡崎城は明治初期に廃城となり、戦後に再建されたものですが、高さ28メートルというから10階建てのマンションくらい。もちろん今では周辺にそれなりに高い建物もありますし、それが数キロ先から見えるというのもびっくり。現在では市の条例で城とお寺を結ぶライン上に高層建築を建てない決まりがあるそうです。

寺自体は古いのですが、徳川の世に整備をしたのはおじいちゃん子の家光で、寺から「生誕の地を望めるように」と配置したのだそう。そういえば家康の遺言に従わず、日光の東照宮をやたらと派手にしたのも家光でしたっけ。もちろん家康の功績は誇るべきものでしょうが、子孫や後世の人々の「忖度」か……。

 

さて、肝心のビスタライン、本当に見えるのか?

いや、肉眼では……ちょっと。

さすがにスマホのカメラでは厳しく、手持ちでは拡大してもブレブレ。しかし、はるかかなたに城の先端がかろうじて撮れました。

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この大樹寺、由緒あるお寺という風情はそこかしこに感じますが、質実剛健という印象。それってすごく家康っぽい。

家臣を何よりの宝とし、信頼に重きを置く家康は、信長や秀吉のようなパフォーマンスは大嫌い。三河者は律儀で、一説には信長が「俺は西に行くから、おまえは東に行け」と言ったのを守ったともいわれています。

湿地だった江戸を開拓し、川の流れを変えるほどの大規模な治水工事や飲料水の確保など、今に続く江戸の基盤をつくり、名実ともにたたき上げの「徳川工務店」のやり手社長ってところ。

経営手腕は実にシビアで、政権に関わるのは譜代大名に限り、外様大名には権力を持たせなかった。その一方で、政権にかかわる者の禄(給与)は低く抑え、外様にはその何十倍も与えるなどして巧妙に取り立てたそうです。まさに非情というか、なんというか。

息子の秀忠に将軍職を引き継ぐと、自分は大御所となって駿府に移り、そこにブレーンを集めて江戸へこまかな指示を出したというから、終生一経営者だったのでしょう。よく「たぬき親父」なんていわれますが、酸いも甘いもかみ分けた苦労人だし、子供の頃から書に親しみ、鷹狩りや薬の調合が好きで、実学の人だったといいますね。

そんな家康が名古屋城を建てたのは1609年ですから、まさに晩年。天下普請といって諸大名に造らせた城は「金鯱城」と呼ばれ、金のしゃちほこで有名ですよね。

家康はムダなお金は使いませんから、地下の金庫には相当な蓄えがあったそうです。けれど、家康の苦労を知らない子孫たちには散財するお殿様もいて、長い徳川の世の間に財産は使い果たしてしまったそう。商いの街、尾張人は相当な見栄っ張りでもあったりするので。

使うべきところにはきっちりお金を使う家康、屋根の上の金のしゃちほこも築城当初はきわめて純度の高い金でつくられましたが、尾張藩は修理の名目で時々このしゃちほこを屋根から降ろし、金を減らして財政の補填にまわすこともあった(!)のだそう(城郭考古学者・千田嘉博先生のコメントより)。

しゃちほこは屋根の上の貯金箱だったのかと思うと、城を見る目もなんだか違って見えてくるというものです。あれは危機管理のたまものか、それとも偉大なおじいちゃんのお年玉か。カリスマ経営者・家康は「そら見たことか」といいながら、意外とほくそえんでいたりして?

プロフィール

杉浦美佐緒

愛知県出身。カメラマン・編集者を経てフリーライター。旅をはじめ、美容・健康・癒し・ライフスタイル全般を幅広く手がける。好きな食べ物は熊本の馬肉、京都のサバ寿司、仙台のずんだもち。憧れの旅人は星野道夫。旅のBGMは奥田民生の「さすらい」~♪

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