エッセイ

旅は私の宝箱

遺産の継承-ギリシャ-

時は2011年の夏。

あのシンタグマ暴動で大騒ぎの頃、私は夫とギリシャ旅行をしました。首相が財政危機をひた隠しにしていたのが露見し、財政緊縮策を強いられた国民の怒りが爆発して、てんやわんや。その渦中のことでした。お盆休みの時期だった為、高い旅行代金を抑えるべく航空チケットとホテルを旅行会社で手配しました。私の父は電話をしてきて荒れているギリシャへの旅に苦言を呈しました。「大丈夫、ダイジョウブ!」安全性に何も根拠が無い私の返事。そう言えばチケットを手配した旅行会社の人も言っていたなァ~。「ホテルはアテネ中心部は避けたら如何ですか?」(そんな所にあるホテルでは不便じゃない。市内中心地のホテルを選ぶわよ。個人旅行だもの…。)

「大丈夫。だいじょうぶ!」

かくして周りがハラハラするギリシャ旅行は、いざ現地に到着するといともすんなり入国出来て…。入国カードも不要でした。スルスル空港を出るとそこには日本で手配していたドライバーさんがスタンバイしていてくれました。挨拶をすると彼は猛スピードで私達をホテルに運んでくれました。

アテネは言うまでもなく遺跡が有名な都市です。ローマ同様市内中心部に集中しているというか遺跡を中心にして町が出来たわけですが、観光しやすい場所です。我ら健脚2人組は歩いて観光しました。真夏の太陽が照り付けて、遺跡を形成しているカラーは白や薄いベージュ。おまけに光を遮るものが無く暑かった! ちょっと休める日陰もあまりありませんでした。

そのアテネの遺跡の1番有名なものは何と言っても”パルテノン神殿”

大理石で出来た丘はツルツルして上りづらかったけれど、真っ青な空に白い神殿はとても映えました。修理中なのが残念でしたが。神殿見学後はその前の博物館に立ち寄りました。建物の下の地面は掘ってあり様々な出土品がそのままにされていました。その上を透明のガラスで覆ってあってそこを歩いて博物館の入口に向かいます。穴に落ちそうでガラスの上をソロソロ歩きました。

博物館にはイヤホンガイドがありましたが、レンタルせずにただボゥーと展示品を見て廻りした。日本語のガイドは無かったと思います。中で1番興味深かったのは古代の土器の染色方法の説明でした。今迄土器を見てきて”どのように染色するのだろう?”と考えた事など1度も無かった。考えてみれば絵の具やペンキ等、今のような塗装材料が無かった時代にどのようにして塗色したのか? 答えは明快にディスプレイされていました。

それは…
[有色の、赤や緑色の石の表面を剥がし砕いたものを水に溶かして土器に塗るのです。]

“なるほど…。”

それは金槌のような道具と何色だったか? 綺麗な色の石が並べてあって説明を読まなくても聞かなくても充分に理解できるものでした。

1つ知識を得た私達は満足気に博物館を後にしました。エントランスから外に出ると足元にはあの発屈跡。目の前には神殿がそびえ古代ギリシャの智慧や壮大な遺跡への尽力に感嘆しきりでした。

旅行前からの懸念だった騒動は?というと…。

シンタグマ広場で数人がワアーワアー騒いでいる声を聞きましたが広場前ではそんな事を意に介せず人待ちする人の姿が見受けられ平穏そのもの。

テレビではインタビューを受けているギリシャ人が、「今回騒いでいるのはほんの一部の人。全てのギリシャ人がそうだとは思わないで。」

そうよ、そうよ。

“あなた達ギリシャ人はあんなに素晴らしい遺産を受け継いだのよ。後世に引き継がなくてはイケない。暴動なんてしている時間は無いはず。”

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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