エッセイ

旅は私の宝箱

平和を願いつつ

友達は現れなかった。
今まだ続くパリオリンピックの余韻。

世界的な祭典は沢山の感動を人々に与えた。喜び、悔しさ、運命、様々な感慨があった。
それはつい1か月ちょっと前の出来事。
パリと言うとウン十年前の思い出が私にはある。まだ通貨がフランだった頃。今よりもずうっと若く、選手たちに近い年の頃。あの地に憧れて旅した無鉄砲な青春時代。

空港からホテルまでの行程の出来事、到着日に友人と落ち合うはずが次の日になってしまった事は以前エッセイで書いた。さてこれからは友人と一緒の行動の話となる。

パリで落ち合えた友人とは、ディナーを楽しみその後別れた。次の日に、別のホテルに宿泊した彼女が私のホテルに迎えに来てくれて、歩いてルーブル美術館に向かった。2人共朝食を食べていないので、セーヌ川近くのレストランでブランチをとる事にした。最大客数、50人位の大きなレストランだった。

中に入ってドコドコと空いている席に座る。テーブルの上のメニューを見てオーダーしようとウェイターに手を振る。
(私は担当ではない。)というジェスチャー。2、3人その調子。

(担当はダレよ。)カッカする私。
(あのマダムだ。)背が低く、ふくよかで40代と思しき女性。眼鏡を掛けていた。ウェイター全員に当たって最後の1人まで行き着いたそのマダム、こともあろうに明らかに私たちより後から入店したお客さんのオーダーをとろうとしている。その時私の右のこめかみの血管が

“ブッチー !!”

と切れ、前方に右手を挙げた。

「マダム!」
と大きな声をあげる。こちらを見たマダムに手を振りながら、(こっち、こちらが先)といざなう。

するとマダムはオーダーをとる手をとめ、引き寄せられるように私の方に歩いてきた。彼女は私たちの存在に気づかなかったらしい。磁石のように近づいてきた表情は、“無”。私のハンドパワーの成せる技。ステーキを注文して、美味しかったのを覚えている。

後で思えば悪かったのは私たち。エスコートしてもらえるのを、入口で待つべきだった。待たなかったから店員たちに気づいてもらえず、“担当じゃない。”と我関せずの他のウェイターの態度に腹が立った。

日本はチップ制ではないから、担当外のウェイターが(関係ない。)と取り合わないのには腹が立つ。けれどマナー違反とは言え30分位待たされて、やっと判明した担当のウェイトレスが後からの客のオーダーをとるなんて【言語道断!】

とこの時の私は熱くなり、実力行使と相成った。が、この時とは比べ物にならない程の言語道断は今年の夏起きた。そう、オリンピックで。

あの永山選手の柔道の試合よー。 私はルールをよく知らないから言う資格はあまり無いけれど…。「待て。」って言ったじゃない。審判員さん! 締め技をかけた相手選手、「待て」なのにそれは無いでしょ。コーチ監督達がすぐに審判員席に駆け寄ったのに。

私があの場に居たら右手を前方に挙げシャウトするわ。

「アンパイアー!!」

その後こちらを見る審配員に対し、(ダメー! 今のは無し。)と首を横に振る。

[私の言う通りにしてよ。]
と言うよりフェアーにお願いします。とは思いつつ、私のこの怒りはいささかあの大舞台には見当違い。それはその後の永山選手の振る舞いが物語っている。

3位決定戦で勝利を収め、銅メダルを獲得した永山選手。

「正直、この戦いに挑むまでの心の調整が大変でした。」と言っていた。

金を目指していた彼にとって、納得のいかない判定からの心のリカバリーなんて想定外だったはず。

そんな思いをしながらの銅メダル。 無論尊い戦利品。色は金でなくとも。
そんな場所で私のアンパイアーコール等ただの罵詈雑言。

暑かった夏の熱い戦いの日々の中、かの地パリの過去の旅に思いをはせた。
日本やウクライナ、参加の難しかったロシアの選手たちのオリンピックでの戦いは、美しく感動的だった。

これ以外の争いはNO MOREと世界の大多数の人々が感じている。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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