エッセイ

旅は私の宝箱

楽園

あの平井堅さんの名曲『楽園』を聴いていると曲調、歌詞にしっくりするモロッコの光景が脳裏に浮かぶ。

《悠久の時を刻むあの場所で君と身体を重ねていたい…。》
あの高音の美声はそう私に語り掛ける。

巨大なテントの下、様々な店が立ち並ぶマラケシュ。ヘビ使いがパフォーマンスしていたり焼き魚を供する出店があったり怪しげな雰囲気がした。もし私が映像クリエイターだったら、ここをドローンで上空から撮影する。その下はハンディカメラを持ちながら奥へ奥へと進む。実際一人で歩いていたら何処かに迷い込みそうな思いにかられた。怖さを感じたあの場所は、子供の頃に抱いていたサーカスのテントのイメージ。

お次はメルズーガ砂丘。

8年前の旅では砂漠をラクダに乗ってまだ暗い明け方に横断した。小高い丘に上って朝日が昇るまで待つのだけれど、その間ラクダたちは大人しく座って待機している。地平線からの御来光は素晴らしかった。ほんの少し明けてきた紺色の空に姿を見せる太陽。白、黄緑、乳白色と何重もの後光を背にした空は神々しい。それを夢中で撮影する旅行者たち。私も動画を撮った。

何処でも天を見上げれば空が広がるけれど、あの黄金色は神に通ずるような神秘さ。美しいという言葉では表せない光を全身に浴びた。沐浴ならぬ神光浴。そんな言葉は無いけれど。

そしてもう1つ、モロッコの有名な観光地にはフェズがある。こちらには空港に到着後バスに4、5時間揺られ到着した。旧市街が迷路のよう。スーク(日本で言えば商店街)が有名で、そこを歩きながら陶器製品の工場に連れていってもらった。ここで私が印象深かったのは旧市街でもなく陶器でもなく、人だ。あのしつこい土産物の売り子。

海外渡航の経験が無い方でも想像がつくだろうけれど、新興国の売り子は失礼な言い方だけれどショウジョウバエのよう。断っても無視してもまとわりついてくる。とてもうざったい。

モロッコに到着した次の朝、早めに集合場所のロビーに行った。するとエントランスのドアから2人のモロッコ人男性が顔を出して「こっち、こっち。」と日本語で手招きをする。(ガイドさんかな?そうだ!ホテルの映像を外から撮ろう。)と思い外に出た。

出た途端、ワァ~っと先ほど顔を見せたモロッコ人達が群がってくる。小柄で年の頃は30代位の売り子だった。私は知らぬ顔でホテルの動画を撮る。すると彼らは離れていく。ひとしきり撮影が済むとまたワァ~と群がってくる。小さい小銭入れのようなものが「3つで1000円。」だそう。日本語で言っていた。(日本円での支払いか。)と思いつつも無視してホテルに戻ったけれど。

それからツアーの皆が集合しバスに乗り込む時、「3つで1000円。3つで1000円。」の連呼と共に彼らの必至の営業活動が始まる。そこそこ売れていたのではないかしら。何せモロッコ観光初日だから営業の成果は良いはず。何も買わない私にも売り子は攻勢を仕掛けてくる。声を小さくして

「マダム、4個で1000円。」

「4個で1000円だってよオ~!」
と他のツアー客に叫ぶ私。

「マダム、シィー!」(内緒の話。)
と、口に人指し指を当てる売り子。

この後向かった観光地でもまた別の売り子とのやり取りがあるのだけれど、モロッコの彼らは愛嬌があって楽しい。これも旅の良い思い出。

しかし…モロッコまでは遠かった。

日本を経って10時間位飛行機に乗りドーハ迄行き、5時間次の便を待つ。またそこから8時間位の空の旅。もうヘロヘロに疲れているのに空港からフェズまでのバス移動。あまりの疲労困憊にあれ程旅好きだった私が

(もう海外旅行はしない~。)

と思ったほど。

そうまで思ったハードな移動は、日々の煩悩から抜け出す為のものだった。

遠かった『楽園』

あの場所の神がかった太陽は、毎日地平線から多彩な光を放つ。地球の営みが果てるその日まで。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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