エッセイ

旅は私の宝箱

瞳の奥に-スペイン-

到着が近づいた頃の窓から見えるのは曇り空。機長の英語のアナウンスは『気温は15℃、曇り』

”このまま雨よ降らないで~”

そう祈りながらスペインのビルバオ空港に降り立った。

いつものことながら急ぎ足で出口に向かう。せっかちな私は何時でも急ぐのだけれど、今回は少々事情がある。というのもこの旅は飛行機とホテルの手配を旅行会社にお願いした個人旅行だったが、サンセバスチャン到着の今日、山間のチーズ農家とりんご酒の製造工場に連れていってもらう。その為夕方ホテルに現地旅行会社の通訳さん(女性)の迎えがある。まあ、もともとのスケジュールでも充分間に合うように送迎の時間は設定されてはいるのだけれど。

テレビでスペイン語講座を観ていたら舞台がサンセバスチャンだった。陽気な町の雰囲気に惹かれ訪れようとしたのだけれど団体ツアーが無かった。ようやく見付けて申し込みをしたら『個人旅行』だと旅行会社に告げられた。唯一、チーズ農家訪問のオプションが付いていた。それが今回の旅行のプロローグ。

さて、ビルバオ空港には定刻通り12時5分に飛行機は空港に着き、12時45分のバスに乗って市内に向う事となった。

バスに乗り込んで1時間10分でサンセバスチャン市内に着く。何処に行った時もそうだが、この道中はまさにファーストインプレッション! その土地との初対面の時となる。窓からの景色は意外にも低い山々が続く。考えてみれば、サンセバスチャンがスペイン北部、バスク地方の海沿いの町であろうと郊外にある空港が海沿いにあるわけもない。元来海好きの私を、その山々はまたもや意外にも私の目を楽しませてくれた。

山々の標高が低いためか圧迫感が無い。中腹あたりのわずかなスペースには赤や水色の色調鮮やかな二階建ての家が3軒程並ぶ。可憐な景観。気が付けば天気は晴れ。こんな思いもよらない眺めに、この後のチーズ農家訪問の期待に胸が膨らむ。山、羊、チーズに加え、古い木造の農家で過ごすヨーロッパの夕方、

”なんてロマンチックなの!”

興奮状態の私を乗せたバスは午後2時頃、サンセバスチャン市内に到着した。

ホテルの部屋に入ってから、荷物の整理やシャワーを浴びて軽くお化粧をしてロビーに下りる。迎えの来る4時40分にはまだ間があるけれど

”部屋でのんびりと待ってなどいられるものですか! だってバスの車窓からあの景色を見てしまったのだもの…。”

約束の時間よりやや早い出迎えの車に乗って農家に向う。山の麓から坂道をしばらく上ると牛が1頭草を食べている。更に進んで目的地に着く。そこは、ホテルから30分位車で走った小高い山の上。私と通訳さんが車から降りると40代とおぼしき大柄な女性と、娘さんらしき赤いフレームの眼鏡をかけた内気そうな10才位の少女が出迎えてくれた。

挨拶を交わしている間にも敷地の手前にある羊舎からは『メェ~』。20頭はいるだろうか? 夕方の5時半位だが午前中のような明るい陽が差し込む小屋。お母さんが少女に何か言うと、羊の群れから産まれて10日位の子羊を抱っこして連れてきた。お母さんが受け取り、私に「さあ、どうぞ。」と渡してくれる。恐る恐る子羊を抱く私を女性の通訳さんがカメラで撮ってくれた。

羊の管理方法の説明を聞き、屋内を移動する。搾乳の仕方やチーズの製造工程の説明を受ける。ケージの中に羊を入れて搾乳をするのだが、以前は餌を食べさせながらしていた。その後、餌を与えながらでは乳の出が良く無いという事がわかり搾乳中の餌やりは止めたようだ。手間暇かかったチーズ作りの説明には感心し、[良質の乳を出す羊は出産後1ヶ月だけ子羊に乳を与え、その後親子は切り離される]という説明には憐憫さを感じた。

”乳は赤ちゃんの為にあるものなのに人間が横取りしてしまうなんて…。”

30分程の見学を終えた後、牧草地に面した部屋に通される。部屋の中央壁には暖炉がしつらえてある。4月半ばでも火をおこすことがあるらしい。こちらを訪ねた時は気持ちいい陽気だったけれど、標高の高い山間なので、朝晩などまだ冷え込む日もあるのだろう。細長い10人位が座れる楕円形テーブルが3脚程あり、中央のテーブルにチーズ、フランスパン、ジャムとドリンクンもボトルが2本用意されている。1本はワイン、もう1本はシードル。「えぇ~。こんなに!」と言ったのは通訳さんだった。彼女もこの農家を訪れるのは初めてらしい。私はシードル、通訳さんはワインを飲みながらチーズをパンに塗って食べる。チーズは少々動物臭がする。試しにジャムも塗ると食べやすくなった。

正直言ってチーズはあまり口には合わなかったけれどジャムはジョリジョリした食感で変わっていた。通訳さんが「このジャムは馴染みの無いテイストだけれど…?」と大柄な奥さんに尋ねると色々な蜜をミックスしたものよ。この辺りでは一般的なものよ。」という返事だった。製造工程を聞いて羊達を見た後なのでとても味わい深かった。ただこの時、親のお乳を飲めない子羊の事もすっかり忘れていた。試食というには充分過ぎる量のチーズやお酒を頂いて屋外に出た。

夕暮れというにはまだまだ明るい中、気持ちのいい風を頬に受けながら牧草地を眺める。向こうの方の山の深い緑と、手前の牧草の黄緑色の濃淡の中に赤い屋根がぽつり。手前の牧草地より少し下ったあちら側に牧草が広がり、放牧されている羊達が見える。赤い屋根は別の農家のお宅だろう。穏やかな優しい色の景色が眼の奥底に今でも残る。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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