エッセイ

旅は私の宝箱

フィリピンを見た ―セブ島―

20年、いやもっと前だったかしら?友人とセブ島へ旅行をした。確か出発の前日に台風がアジアを直撃して予定より1日遅れて日本を経った。大波乱の幕開けだった。

セブ島の空港にはフィリピン女性のガイドさんが迎えに来てくれた。旅行中、ほぼ私達2人の専属のように世話をして下さった。セブ島に着いたのは夕方遅く。それからホテルに向かう頃はとっぷり日が暮れていた。かなり車で走った頃、助手席に座っていたガイドさんが後ろを振り向いて「今度セブに来るときはこのホテルはやめた方がいい。」と言った。旅行会社に予約をしたのは私。予算のこともあるけれど(確かホテルを選ぶ時対応してくれた人は「人気のあるホテルですよ。」と言っていたよなァ~)などと思いながら後部座席で友人の顔色を伺っていた。

確かに空港からホテル迄は遠かった。道中は事前にイメージしていた青い空青い海、軽い感じで観光客をもてなすネオンキラキラの?華街のセブ島とは大違い。ひたすら照明があまり無い、村の暗い1本道を進む。恐らくリゾートエリアとは真反対の方角に向かっているのだろう。車窓からの光景は民家が並び時折お店かな?というような家もあった。そして夕食を済ませたであろう人々が外に集まって話をしている。テレビは無いのかも。こうやって島の夜長を過ごすのだろう。道すがらポツポツ見かけるそんな人々を、友人は「集まっておる。集まっておる。」と興味深げに観察していた。

さらに行くとガイドさんが「ここがディスコです。」という。

(ウう~ン!ディスコー?)

というカンジ。

だあ~ってー火の見やぐらのような建物が…。まるで日本の盆踊り大会の会場のように建っている。街灯も電線にソケットランプのような物が付いているだけ。

“まさにカルチャーショック!”

異文化にショックを受けた私達を乗せた車はそんなこんなでホテルに着いた。

次の日島の中心部に出掛けた。食事をしようとレストランに入ると”まだ小学生ではないのか?”と思われるような可愛い幼い少女が働いていた。あどけなさに愛おしさを感じながらも、こんなにも小さい労働者に昨日とは違うショックを受けた。

友人曰く、「こんな旅も良いんじゃない?フィリピンのローカルを味わえて。」と言ってくれた。私もそう思う。そしてこの後更にハプニングが…。

当初”日本への帰国はスケジュール通りだ。”と言われていた。スーツケースを携えてホテルのフロントで待っていると現地旅行会社から電話が入った。「明日帰国して頂きます。今日はマニラのホテルに1泊して下さい。」とまあこれも驚きなのだけれど肝心なのはこの先。

話は端折って、マニラに1泊して空港に向かうバスの中で友人曰く「今、誰かがあのホテル(宿泊したホテル)は幽霊が出るホテルだと言っていたけれどそれで思い出したの。夜中に目を覚まして聞いたのよ。人の声。眠かったのですぐにまた寝ちゃったけれど。」隣室の人の声とは明らかに違うようだったが詳細には覚えていないようだった。友人は話をつくるタイプではない。”そう言えば”という感じの話し方があの時は更に私の興味をそそった。こちらはグッスリ寝ていて何も聞いていないけれど…。

最近気になってインターネットで検索したけれどこのホテルを検索出来ない。
それはそれで良いか。

フィナーレを飾る? ”幽霊”は曖昧な方がより一層ミステリアスだから。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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