エッセイ

旅は私の宝箱

無計画の賜物―フランス・パリ―

パリ中心部に着いたのは夕方だった。あまりひとけの無い道路端。乗り合わせた他の乗客たちはみんな何処かに行ってしまった。横には大きなスーツケース。左向こうには凱旋門がある。

“さあ、これからどうしよう?”

今から25年位前の9月でした。事前に空港からホテルまでのアクセスをろくに調べずにホテルと飛行機だけを旅行会社で手配してパリに向かいました。今思えば冷や汗ものです。飛行機でパリに着いたら、空港から市内中心部まではバスで出てそれからは…。実際空港でバスに乗り終点で降りました。そしてふと前方を見るとバス停がある!(とりあえずあちらに行こう。)スーツケースを引きずりながら広い道路を横断しました。

バス停に並んでいた、一番後方のマダムに行き先「リヨン駅」と1言、これで行き方を尋ねようとしたのです。ホテルはその駅のすぐ近くでした。(実際の会話はほとんどが英語)そのマダムは察してくれて「リヨン駅に行きたいの?このバスで途中までいって乗り換えなければいけないの。私が教えてあげる。」それから程なくバスが来ました。マダムが「あなたお金を持っている?」と聞くので私が先ほどの空港バスの運賃の支払の時にもらった小銭を差し出すと「私が払ってあげる。」マダムに続いて路線バスに乗車しました。

車内でマダムは路線図を見ながら乗り換えるバス停を確認して、バッグの中から自分の名刺を取り出し、その裏に乗り換えるバス停の名前とバスの路線番号を書いてくれました。マダムがバスを降りるのは私より先でした。「頑張るのよ。」というような事をフランス語で言って私の肩を抱きバスを降りていきました。この時の私は20代半ば。ショートカットの頭に帽子をかぶり、痩せていてミニのキュロットをはいていました。フランスのマダムには”こんなに幼い少女が1人で旅をしているわ。”余程頼りなさげに見えたのでしょう。その後も人に聞きながらなんとかホテルに辿り着くことが出来ました。

次の日、1人市内を歩いている私に犬の散歩中のマダムが声を掛けてきました。
「何処に行きたいの?」
私が目的地を告げると「途中までご一緒しましょう。」歩きながら「あなたは日本人?」の問いに「そうです。」と答えると「日本の何処に住んでいるの?」「横浜です。」 「私も横浜に住んでいたことがあるのよ。」驚く私に「私はね、あなたがパリを旅してパリを大好きになって帰ってもらいたいの。」

その後少しその方とご一緒してから別れました。 そもそもパリに行きたかったのは、多くの若き女性が描いているお洒落なイメージが私の中にあったからです。けれど、この時の旅行ではそれとはかけ離れたものを感じました。
シャンゼリゼ通りを歩いている時、地下鉄の入口でケンカしているカップルを見かけました。男性が待ち合わせ時間に遅れたらしく、何やらモショモショ言い訳をしている。カンカンに怒っている女性は少し太め。”抱いていたフランス人カップルのイメージとはほど遠かった!”
エッフェル塔の下でアイスクリームを買おうとすれば子連れのお母さんに割り込みされるし…。わざとではなかったようだけれど。まあ、パリのお母さんも子供に早くアイスクリームを食べさせてあげたいものね。

強くパリに憧れる反面少し抵抗があったのは”フランス人は個人主義で冷たい。”という思い込みでした。これも見事に覆されました。旅行中、出会う人はみな温かった。有り難い誤算が連続の旅でした。ただ、もう2度とあのような無計画な旅を私はしないでしょう。

人生では、何かを求めていてもそれが手に入らず予期していなかったものに出会うことがある。それが縁。まさにこのパリ旅行がそうでした。パリを去る時に、あの犬を散歩させていたマダムに言いたかった。

“パリを旅してパリという街には惹かれなかったわ。けれどここに暮らす皆さんが大好きになりました。”

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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