エッセイ

旅は私の宝箱

初対面のイタリア

25年前の秋、

”フランスのパリとイタリアのローマを旅しよう。”

と思い立ちました。まだその頃は海外旅行の経験も少なく、”とにかく有名なヨーロッパの都市を訪れたかったのです。ちょうどその時期、友人がヨーロッパを周遊するというのでパリのホテルで落ち合う約束をしました。パリを観光後、友人とは別々にイタリアのローマに向かいました。色々な国を周っている友人は旅費を節約する為に、前日に列車でパリを発ったのです。そして再びローマ、テルミニ駅からほど近いホテルで待ち合わせをしたのですが…。

これがドキドキトリップだった!

フランスのシャルルドゴール空港から飛行機に乗り、イタリアのフィウミチーノ空港に降り立った私は、ここからホテルのあるテルミニ駅に向かおうとしました。空港出口に向かうとガラス窓越しに外の様子が目に入りました。数人の男性職員が談笑しています。時季は9月。半袖シャツから出た腕は毛むくじゃら。

(ウワァ~!キョウボウそう。1歩外に出たら危害を加えられないかしら?)

かと言って空港内に留まる訳にもいかず…。思い切って外に出ました。すると前方から、水色のシャツと紺のズボンを履いた男性がやや険しい顔をして近づいて来ました。胸元には〔トラベル〕というバッチが付いていたと記憶しています。これからの会話は実際英語で取り交わされました。

「これからどうするんだ?」との問い掛けに、「空港バスでローマ市内に行くつもり。」と答えると「バスは終わった。」彼は左(私の右方)を差し「列車で行け。」そして手にしていた地図を広げながら「テルミニは危険だから近づくな!」

この時の私の頭には猜疑心、心には動揺がグルグル広がりました。イタリアの空港に着いたのはお昼ちょっと前。

(9月の、こんな真昼間に空港バスが終わるなんてアリエナイ!そんな事を言われたらタクシーで目的地に向う人もいるだろうから..アンタ、タクシー会社とグルになっているんじゃないの?しかも、テルミニ駅に行かないわけにはいかない! だってホテルは駅近くなんだもの。)

そんな混乱を覚えながらも、私は仕方なくスーツケースを引きずりながら指差された方に歩き出しました。すぐに駅は見つかり、短いエスカレーターに乗って上昇。上に着くと、今度は動く平らな歩道が続き改札方向に進むという具合になっていました。

そこに立って進んでいると、左の路側帯前方から数人のイタリア人男性が歩いて来ました。恐らく、鉄道会社の職員がランチに向かうところだったのでしょう。私に向かい「チャオ~!」(チャオとか馴れ馴れしく言うんじゃない!)と私は心の中で叫びました。『チャオ』とは日本語で言うならば『やあ!』位のラフなイタリア語の挨拶なのですが…仕方ないですよ。この時の私はイタリア人に対して不信感一杯でしたから。

そしてその後、今度は左後ろからバタバタとスーツケースを引きずった白人女性が私を追いかけてきました。振り向くと「テルミニに行くの?」と英語で問いかけてくる。言っていることはわかったのですが「もう一度言って下さい。」と言いました。何故なら…。

(同じツーリスト同志、彼女もテルミニ駅に行きたいのだろうけれど、何も、迷える明らかに東洋人の私を頼らなくても。)

と思ったからです。聞き直して「はい、そうです。」と答えはしましたが。

それからも人に尋ねながら何とか列車に乗り込むことが出来ました。ボックス席に座っていると、少し遅れ先程の女性が乗ってきて私の後ろの席に座りました。彼女の方に身を乗り出して「あなたもテルミニに行くの?」と問いかけると「I wish.」(願わくば)とシートに身体を沈めながら弱い口調で返事をしてくれました。後になって考えれば、

”彼女も空港バスでテルミニに向かうつもりだったに違いない!”

隣の席に異国の、やはり迷える旅仲間と共に列車に揺られ日本の友人が待っていたホテルになんとか辿り着く事が出来ました。

このドキドキの連続だったテルミニ駅までの道中は、初めてイタリア旅行の思い出として私の心に深く刻まれました。

あのトラベラーの案内役の男の人の「電車で行け。」という指示が良きアドバイスだったという事を後々知ることになったり、「テルミニにいくのか?」と聞いてきた白人女性も、私が海外からのトラベラーだからこそテルミニに行くと確信して尋ねてきたのだと、後々に合点がいきました。この旅行は今から25年前位の話。あれから20年後位に私は再びイタリアを訪れるのですが…。

その旅行で、往きの送迎車でホテルに到着した私達夫婦に現地ガイドは一通りイタリアの現状、『治安の悪さ』を小一時間説明してくれました。そして帰りは自分達で空港に向かわなければイケなかったのですが、「空港にはタクシーで行って下さい。列車は置き引きが多いんです。帰国直前のお客様が被害に遭われて泣きそうな声でご連絡頂く事が多いもので…。」と。当然、この時私達夫婦はタクシーで空港に向かい帰国の途に着きました。

この時になって、最初のイタリア訪問のローマ市内へのアクセスが列車だった事をさらに貴重な経験だったと感じたのは言うまでもありません。

(あぁ~、あの時のイタリアは良き頃だった。)と、この旅を2009年のイタリア旅行後に振り返ることになろうとは。25年前のあの時の私が知る由もない。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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