エッセイ

旅は私の宝箱

桃源郷に行った

あの村カサレスはスペインの南、アンダルシア地方の海沿いより少し内側に入った所にある。

スペインには壁が白い家の集落が所々にある。カサレスもその一つ。

村の麓にはバール(BARと書いてそう読む。)が3軒位あって、店の前のベンチに座ったおじいさん達が談笑しながらお酒を飲んでいる。バールとは日本で言うといわゆるバー。昼夜を問わず、お酒やジュースが飲める。タパスというおつまみがあるのがスペインでは普通だがここにあるかどうかは疑問。フランスパンにアンチョビを載せたり、蒸しエビやゆで卵を串に挿したタパスをお酒と共に頂くのはサイコーだけれど、この村のバールには不似合いに思える。

外から覗いたバールはだだっ広い10畳位のスペースにカウンターがあり、中央にビリヤードの台が置いてある。従業員の姿は見当たらない。多分、店主はベンチに座ったおじいさん達の中の一人だろう。オリーブの実をかじりながら強いお酒を飲む。時折訪れる観光客の若い女性の品定めをしているであろうその様子は、バールというよりシルバー男性のコミュニティのよう。

この村を訪れたのは今から20年以上前の事。この風景がとても印象的で、私の心にはずうっと残像が刻まれていた。白い町並み、いや村並に眩い陽光が降り注ぐ。そこで毎日変わらぬ生活をするおじいさんとおばあさん。時がゆっくり流れる。あの村のその後がなんとなく気になっていたのだけれど、5年位前に”その後”を聞くこととなった。

場所はフィンランド。団体ツアーで訪れた際の昼食時だった。ツアーの中にフラメンコを習っている人がいて、”いつかスペインのアンダルシア地方を旅したい。”と言った。

「アンダルシアは良いわよ~! マラガ、マルベーリャ、カサレス…」

と私が主だった都市名を挙げると

「カサレスに行った事がありますか?」

テーブルの隅に座っていた男性添乗員が応答した。

「はい。カサレスは今どんなですか?」

「全然変わりませんよ。」

「あのままですか。」

「カサレス?」  行きたがっている人が呟いた。

「アンダルシアの白い村。他にもそういう村はあるけれどカサレスはねえ~、全然観光化されていないの。時が止まったような所。まるで桃源郷みたいなのよ。」 カサレス

15年前、時が止まった村を歩いた。坂を上ると見晴らしの良い場所にでる。けれど、その時の眺めの印象は残っていない。覚えているのは……。

帰りにだらだら坂を下っていた。すると背後からスペイン人のおばあさんの大きな声。何を言っているのか分からないので、そのまま歩き続けると行き止まり。おばあさんはそれを教えてくれていたらしい。バツが悪くそのまま下っておばあさんの顔を見なかった。せっかくの親切を、言葉がわからなくて無駄にしたので顔を上げる事が出来なかった。

そして言葉が多少通じても、相手の言う事を聞かなければ仕方ない。

去年スペインの北部バスク地方を旅した時、一人で町から町へ移動した。最初の予定と違うバスに乗ってしまい乗り継ぎバスがわからず苦労した。バス停で並んでいる人に行き先を告げ、乗り場を確認する。この先は英語での会話。

「ビルバオに行きたいの。」

「ここからバスに乗ってバスターミナル迄行きなさい。」

「歩いて行く。」

「遠いから無理よ。バスで行きなさい。」

すると、教えてくれるおばさんの横でこちらを心配そうに覗き込んでいた別のおばさんが前方を指差した。

「5番、あれよ。あのバスに乗りなさい!」

さすがにここまで言われれば……。
「グラシアス。」(ありがとう。)と言って5番バスに乗り込んだ。

スペイン南部のカサレスに思いを抱きながら北部のバスク地方を訪れたけれどそこでもまた、勝手のわからぬ旅行者は親切なスペイン人のおばさん達に出会った。

スペインに対しての愛情は更に深まり、以前にも増しアンダルシアへの思慕は募る。

私が訪れた15年後にも変わらないというあの光景。バールの前にたむろしていたおじいさん達は世代交代しているだろう。そしておばあさん達は邪魔者がいない家でせいせい家事をする。窓を開けて洗濯ものを干していると外を東洋人の女が一人通り、行き止まりに向かって歩いて行く。

「そっちじゃないわよ~!

いつかまたあの村のあの坂を下る私の背後から、そんな大きなスペイン語のおばあさんの叫ぶ声が聞えてくるだろう。続けて

「ねえ~、私、一服しようと思っていたの。美味しいティラミスがあるの。 コーヒー淹れるけどあなたちょっとうちに寄っていかない?」

現在私はスペイン語を勉強中。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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