エッセイ

旅は私の宝箱

TOKYO―東京都―

東京を語ろうとすると10代の頃の自分が脳裏に浮かびます。写真を見るとあの時の私は頬がふっくらしていていつもニコニコ顔です。「あなたから見て今の私自身は満足ですか?それとも…。」

高校生の時、新宿のアルタに、今は放送が終了した『笑っていいとも!』を観に出掛けた事がありました。さながら東京凱旋のはずでした。横浜の自宅から2時間弱ほどの新宿に友人と繰り出しました。その当時のワードローブの最高の衣装を身にまとって。白いセーターに白いビラビラのミニスカート。セーターには胸元に、2重に黄色いリボンが通してありました。今でも覚えています。最高のオシャレをした私は横浜駅で友達と落ち合い、興奮しながら目的地に向かいました。新宿駅に着き、東口のアルタ前に11時30分頃到着。ビルの前で番組のスタッフらしき人がイスに座っていました。そちらに近づき男の人に声を掛けました。「いいともを観覧したいのですが。」「葉書をお持ちですか?」「? 葉書?葉書が無いと観覧出来ないのですか?」「はい。」終了~。事前に観覧希望の抽選に当選していなければ観る事は出来ない。そんな事さえ知らない高校生のあの頃でした。「さあどうしよう。」そのあとは友人と公園に行った記憶が…。ベンチに座っている2人の姿を思い出します。

その後、高校を卒業して東京の学校に進学しました。この頃は夜の六本木や渋谷が遊び場所です。渋谷の道玄坂を右に入った辺りかしら。ゴチョゴチョ曲がりくねった階段。白い壁のスペイン坂。このあたりのお洒落なカフェバーでカクテルを飲みました。ダンスパーティーも花盛り。社交ダンスを踊るのではありませんヨ。ディスコです。今はクラブというのかな? 東京6大学主催のダンスパーティーなどは人が集った、集った。たくさんの人、たくさんの恋、そして何処かにたくさんのおかね。とにかく街の空気が軽かった。いつの頃か具体的には書きませんがこの記述で時代をご想像いただければ幸いです。

東京には何かある! そう確信していました。時々行かなければならない。そう思い込んでいた。若いころ私が求めていたのはハイセンスな生活か、恋か、成功か? そこは社会人としてのスタートラインだと思っていました。

今の私は…。
用がなければ東京に行きません。今年は7月、8月と羽田に行きました。けれど羽田が目的ではないのです。日本を飛び立って海外に向かいました。今も昔と似ているのは「毎年海外に行かなければいけない!」と思い込んでいる所です。

では私は、一体何を海外に求めているのか?
多分それは居場所探しだと思うのです。何処が自分1番にふさわしいのか…。
それはいつまで続くのか?
世界に行った事の無い国や場所がある限り…。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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