エッセイ

旅は私の宝箱

面影を追って

今だ終わらぬ戦争。ロシアのウクライナ侵攻のニュースがテレビに映し出される。
この原稿を書いているのは2023年8月。

世界のごく一部の人間は戦争をしたがるようだけれど言うまでもなく戦争は、世界中に悲しみや苦しみを巻き起こす。

そうは言っても戦争は、私にとっては遠い国で起こっている事。そしてずうっと昔に起きた忌まわしい歴史。けれどこの歴史がぐうっと身に迫った時があった。それは何十年も前の話。

高校生の時テレビを観ていた。ニュース番組だったと思う。沖縄の高校の卒業式の様子を放送していた。壇上の奥の壁には日本国旗が掲揚されている。すると女子高生が壇上に駆け上がり、泣きながら旗を取り去っていた。とてもショックだった。自分とほぼ同い年の女子高生の、内地本土に対する恨みを強く感じたからだ。私にとっては遠い昔の他人事の戦争が、彼女にとってはいまだに心に深く根差す憎悪。この気持ちの隔たりは、沖縄と内地本土との距離感だけでは語れない。

それから私は、修学旅行で広島に行った。原爆ドームを見て、原爆資料館で原爆が投下された後の悲惨な町や人々の写真にショックを受けた。友人は観覧後にショックで泣き出していたなあ。(2度とこのような事を繰り返してはイケない。)と強く思った。それでもやはり心の中ではもう起きるはずの無い事。身に迫る強い恐怖感は感じなかった。実際、そうでないと困るけれど。

そして、それから随分と年月が経ち、私は結婚した。結婚して何年目かのゴールデンウィークに夫婦で沖縄を旅した。レンタカーを借りての個人旅行。多分沖縄に着いたその日にひめゆりの塔と平和祈念資料館を訪れた。是非行きたいスポットだった。

現地に着いて、先ずは慰霊碑に手を合わせる。その奥の白い建物が資料館。記帳をして中に入る。建物には中庭が設えてあって、芝生のグリーンに心が和む。季節は5月。お天気も良かった。展示物はガラスのショーケースに入っていて、当時の女学生の持ち物だった。おかっぱ頭の少女の絵が描いてある冊子があった。まだ幼い童女の表紙は、ひめゆり学徒の持ち物としては年齢的に違和感があった。けれどあどけなさや無邪気さが伝わってきて、そこにモンペ姿でおさげ髪の少女の残像が目に浮かんだ。

アメリカ軍が沖縄に上陸しての本土決戦。どれだけ恐ろしかっただろうと思う。米兵の脅威に怯えた日々。昔テレビで観た日本国旗をはぎ取った女子高校生からは、そういった沖縄の過去、怨嗟が感じられる。

けれどこの場所は女生徒たちの魂がそのまま漂う。辛い経験や死への恐怖よりも、無邪気な姿が脳裏を過る。

むかーし見た、沖縄の女子校生の涙。ずうっと気になっていた。そして何十年後かに訪れた沖縄。代表的な青い海よりも穏やかで、色合いは淡いひめゆり学徒隊の残像。

その残像からは強いメッセージは感じない。

けれど私の心に穏やかに存在し続ける。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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