エッセイ

五感で感じるエッセイ『イン・ラケ'ッチ!』

旅に出る理由と出会う 熊野(後編)

紀伊半島を巡る旅の2日目。

10月中旬だというのに、真夏のように日差しが強い。
<海の熊野古道>と呼ばれる高野坂(こうやざか)へと出発する。
新宮駅前からバスで約20分。広角(ひろつの)<高野坂入口>で下車。
民家の路地を抜け、緩やかな下り坂を進んでいくと、ドーンという音が聞こえてくる。潮騒と呼ぶには激しすぎる熊野灘の「声」だ。

竹林が続く薄暗い坂の途中で、急に、まぶしい海の風景が開ける。思わず駆けだしたくなるが、ここは行ってはいけない。

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実にひっそりと、単線の線路が横たわっているのだ。柵も何もない。
初めて訪れた時、そうとは知らず、警笛を鳴らされ、飛び上がるほど驚いた。本当に要注意である。
はやる気持ちを抑えて先に進むと、<高野坂入口>と彫られた石の道標がある。その先の高架下をくぐり、浜辺に出る。

「おお……」

一気に空間が広がる。目の前が、空と海でいっぱいになる。
何度来ても、ため息が出るほど美しい。
ここは、王子が浜という全長4kmにわたる海岸線だ。
風はほとんどないが、浜には大波が打ち寄せ、波打ち際に近寄ることもできない。キラキラ光る遠くの海は、湖面のように静かに見えるのに、打ち寄せる波の暴れっぷりは、いつも凄まじい。

高野坂は、熊野灘に沿って続く遊歩道だ。高低差もさほどなく、メインの道を歩くだけなら、小一時間で出口に着く。途中に、いくつか脇道があり、それぞれが、神社や塔、展望台へと続く。

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高野坂を知ったのは、本当に偶然だった。
初めて熊野三山巡りに訪れた時、「たまたま」買い物に入った店で、強く勧められたのだ。
「ガイドブックにはあまり載っていないけど、とてもいいところで、海に沈む夕日が見えるよ」と、ウォーキングマップを手渡された。
地元の人のおススメなら、まあ、行ってみようかな、くらいの軽い気持ちだった。
ところが、その場所こそが、その後、私が何度も熊野を訪れることになる、「物語」の舞台だった。
日本は、神話と現実が地続きになっている。
その世界に、私は立っていた。

神武東征(※1)で熊野に上陸した神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレビコノミコト。のちの神武天皇)一行は、多くの苦難に見舞われた。「クマが見え隠れし、神武軍はその場に倒れた」と、日本書紀に書かれている。
朝廷にまつろわぬものを、鬼・土蜘蛛・蝦夷(えみし)と呼んだように、土地の女酋長 丹敷戸畔(ニシキトベ)をクマと呼んだと言われる。

一方で、クマとはカミと同意であり、クマノ(熊野)とは「神の」という意味で、「見え隠れしたクマ」とは、土着のカミの意ではないかとも言われる。
神武軍は「クマ」を倒し、八咫烏(やたがらす)の道案内で、森の中を進軍していく。そして、紀伊半島の深奥、現在の奈良県橿原に大和朝廷を開いた。
土地を守るために戦って散った丹敷戸畔は、体をバラバラに切り分けられ、高野坂の中程にある<おな神(がみ)の森>に葬られたという(※2)。

国家統一の名のもとに、各地で激しい戦いが繰り広げられ、次々と全国が「平定」されていった。だがそれは、朝廷側の言い分であり、平定された側から言えば、これは明らかな侵略である。朝廷に不都合な歴史や場所はほとんどが隠される。そういう話は、日本各地に残り、もう一つの歴史を物語る。

<おな神の森>の奥に、色褪せて傾いた鳥居と、小さな祠があった。
木々の隙間から、青い海が見えた。誰が建てたのか、角塔婆が二つ並んでいた。
一つは、神日本磐余彦尊。もう一つは、丹敷戸畔。侵略した者とされた者が、並んで祀られていた。
それは衝撃的な光景だった。
二人は、本当に敵同士だったのだろうか。
その時、本当は何があったのだろうか。
頭の中に様々な仮説のストーリーが溢れ出してきて、クラクラした。
謎、疑問、想像、空想は止まることがなく、それから、何度も<おな神の森>に足を運んだ。そして、さまざまな伝承が残る東北や岡山にも行った。歴史の足跡(あしあと)を辿るために。

その場に立ち、その空気に触れ、声なき声を聴く。思いを馳せる。
「誰か」の視点ではなく、「私」の視点で見つめる。
意味などなくていい。正解もいらない。ただ、感じる。
表の歴史と裏の歴史を。
そして、気づく。
歴史の闇の中から、手探りで、消えゆく記憶のカケラを拾い上げ、新
しい物語として紡ぎ、昇天させること。
それが私の役目であり、私が旅する理由なのではないか、と。
全くもって、畏れ多いと思いながらも。

*   *   *   *   *   *

天気予報は終日晴れだったが、<おな神の森>に近づくにつれ、うっすらと日が陰り、静かに雨が降り出した。急に天候が変わるときは、見えざる存在が歓迎しているサインだという。
丹敷戸畔は、再訪を喜んでくれているようだ。
雨音だけが聞こえる中、森の奥へ奥へと進む。

3年ぶりに訪れたそこは、朽ちた鳥居がどこかに消え、折れた木片だけが残っていた。
祠も打ち捨てられたままだ。
二本並んだ角塔婆だけが、変わらず海を眺めていた。
持参した線香を焚き、手を合わせる。
この瞬間も、世界は争いを続け、たくさんの命が理不尽に奪われている。
人は何を学んできたのか。この先どこに向かうのか。
私は、うまく役目を果たせているのだろうか。

森を抜け、出口に向かう途中、赤いモノが足元をよぎって、ぎょっとする。

カニ?!こんなところに?!

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朱色のカニは、カサカサと音を立てて、落ち葉の中に隠れた。
朱と言えば、丹(ニ)。昨日訪れた丹生都比売(にうつひめ)の守るものであり、丹敷戸畔の丹でもある。
また、何かのメッセージを受け取ったのか?
わからないまま、先を進む。

鬱蒼(うっそう)とした木々のトンネルが終わり、空が広くなってくる。
高野坂の出口。
舗装された道路を車がビュンビュン走っている。
さっきまでの光景とのギャップに、一瞬、眩暈がする。

さあ、次はどこへ行こう。
声がするのは、どっちだ。

(※1)古事記や日本書紀で語られる、神武天皇が九州の日向国から出発し、大和国に朝廷を開くまでの物語。
(※2)ニシキトベの墓所に関しては諸説あります。

プロフィール

白川ゆり

CASA DE XUX代表/アロマハンドセラピスト/アロマテラピーアドバイザー
2009年~ マヤの聖地を巡るワールドツアーに参加。パレンケや先住民が住むラカンドン村等、数々のマヤの聖地を訪れる。
また、国内外のマヤの儀式において、火と香りで場と人を浄化する「ファイヤーウーマン」を務める。
2011年~ マヤの伝統的な教えを伝えるワークショップを開催。
マヤカレンダーからインスピレーションを得たオリジナルアロマミストシリーズ「ITSUKI」を制作。

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