エッセイ

旅は私の宝箱

エーゲ海クルーズで観たものは

夫婦で旅をしたくても、夫の休暇が旅行の値段のハイシーズンなのが悩ましかった。
愛知に在住していた頃、夏のお盆の頃にしては安い飛行機を見付けた。エティハド航空という会社のチケット。これに、ホテルとオプショナルルツアーを付けた。

エーゲ海クルーズ無しには、ギリシャ旅行はあり得ない!

とまで思っていた。この時は。

さて。話はクルーズ船上と続く。

収容人数は50人以上100人未満位の船だった。3島に寄港して、8時間位のクルーズ。ランチ付きで6人掛けのテーブルにアジア人、白人、黒人系が座らせられる。私たちと同席したのは白人とヒスパニック系?かな。違う人種同士をテーブルに付かせる船側の配慮のようだった。

お料理が運ばれてきた。大きな肉がお皿に2枚。その横にはカピカピの、揚げたようなジャガイモが添えられていた。形ばかりのモシャモシャサラダがあったけれど野菜は干からびている。肉は(これは何の肉?)というような代物だった。隣に座る夫が私のお皿をのぞき込み「なお(私)の肉の方が大きい。」と言うので、
「どうぞお召し上がり下さい。」
お肉を一枚彼にあげた。
夫はねえー、味音痴ではないけれど何処の国に行ってもその土地の料理に不満を言わない。こういうタイプは海外旅行向き。国によってはどうにも口に合わない料理があるから。

何だか判らないお肉を、小さいパンと一緒に頂く。パンは一人2つずつしかない。これでは我が夫は絶対足りない。
「パンのお替わりを下さい。」
とウェイターに私が英語で頼んだ。しばらくして追加がきた。白人女性が(先ずはあなたが取って。)というジェスチャーをする。それでは1つ頂きます。そして夫、白人夫婦、ヒスパニックと続くのだけれど、ヒスパニック女性が選んでいるのかパンをいくつか触って取らない。
(何やっているのよ!最初に触ったのを取りなさいヨ!)
心の中で叫んでいた私でした。

さて肝心のクルーズはと言うと、最初の寄港時にはデッキに人々が沢山出てきて写真を撮ったり着岸のさまを見たりと盛況だった。島の名前は忘れたな。海がきれいで、同船していた日本人クルー曰く、海で泳ぐ人がいるらしいけれど、寄港した短時間でそんな気にはならない。島内ではロバに荷物を積んで運ばせていた。気を付けないとフンを踏んでしまう。

2島目からは着岸時もソロソロと人が集まってくる。皆さん少し飽きたのね。乗船時も周りはずうっと海だもの。私はこの島で、アクセサリーを買った記憶がある。手造りぽい感じが良い感じ。お土産としてはうってつけ。写真を撮って散策して。船に戻って出港までのわずかな時間、繰り広げられた寸劇?がとても興味深かった。

夫は船上を散策。私はタバコを吸う為、出港前にデッキのベンチに腰掛けた。デッキにはアメリカ人と思しきファミリーが居た。お母さんは座って、何やらピザのような薄い箱をテーブルの上に開いて食べている。船のランチは今一つだったものね。隣には10歳位の少年が座っていてペットボトルの水をテーブルに置いている、お父さんは40歳位、カメラで海の写真を撮っていた、主人公は弟と思しき8歳位の少年。デッキ上を歩き回り、いかに自分が不幸なのかを訴えている。

どうやら下船して、島でアイスクリームを少年が親にねだったらしい。お母さんのランチパックがあるから、船に戻ってから買ってあげると言われたのかな? ところが船上ではアイスクリームは売っていない。私はそれを知っていたの。だって他の子がさっきママに「アイスクリームが食べたい。」と言ってママがクルーに尋ねたら「アイスクリームはおいてないんですよ。」と言われていたもの。

その少年は、デッキの海の方に行って何やら言っている。
(あの時アイスクリームを買っていれば良かったんだ。)
とか。
その後真ん中に歩いて来て、
「オーマイゴッド!(何て事だ!)」
と言いながら悲しみの極み。

お父さんは「仕方ないだろ。静かにしなさい。」
お母さんはイラつきながら「水をテーブルの上に置きなさい。」
[別に良いじゃ無いの。ペットボトルの水を手に持っていたって。]
私は少年に同情していた。
お兄ちゃんは椅子に腰掛け大人しくしているけれど…。

それは無いよね。

親は家族でのギリシャ旅行でエーゲ海クルーズをするとなれば、お金も遣うし子供も喜ぶと思うかもしれないけれど全然違う。子供は友達とサッカーや野球をして、アイスクリームやポップコーンを好きなだけ食べられる方がどれだけ幸せか。せめて親が、「次の島でアイスクリームを買ってあげる。」なんて優しい言葉をかけるならまだしも。

このクルーズ船上の英語劇?
少年の歩き回りながらの訴えが、日本の子供とは明らかに違う。グチグチ不満を言ったり泣き叫んだりが日本のパターンだと思う。私は。

だからあの少年のジェスチャー付きの訴えは、カルチャーショックを感じた。少々単調なクルーズに面白みを与えてくれた。

傍らで、少年に深く同情していたアジア人が居た事を彼は知らないけれど。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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