エッセイ

旅は私の宝箱

淡く美しく

今年のゴールデンウィークに石垣島に行った。
事前にガイドブックを見ると(川平湾には行かなくっちゃ!)と書いてある。だから現地に到着した次の日に向かった。ホテルは石垣港の真ん前。島の中心部から30、40分車を走らせた。到着後オフィスのような建屋に入ると、受付の女性が私たちの顔を見るなり「10分後、8時40分のグラスボートがあります。」と早速案内してくる。「トイレに行きたいのだけれど。」と言うと「間に合います。」との返事。チケットを2枚買って、教えてもらったトイレに入りボート乗り場に行く。

白い砂浜、コバルトブルーの海。その輝きは石垣島に来て1番。急いで写真を撮り、ボートに乗り込む。「こんにちは!」と既に乗り込んでいてファミリーのお父さんに挨拶された。「こんにちは。」と返す。40才前位のご夫婦と9歳と7歳位の坊やが2人。乗り込んで間もなくボートは発進する。出港より発進の方がふさわしい小型なボート。家族4人と私たち夫婦で定員位だった。

船の真ん中下方に設置されたガラスから、海中をのぞき込める。白や黄緑の岩肌や、黄色や水色の小さな熱帯魚たち。船の操縦士さんが、海が太陽光を受けてなんじゃらかんじゃらとサンゴ礁やその発色の説明をしてくれる。私の隣に座っていた坊や(お兄ちゃん)もサンゴ礁の説明を何やらしていた。「良く知っているね!」と言ったけれど無視されちゃった。

その後、岩の上に亀がいたらしい。
らしいと言うのは私は見る事が出来なかった。岩な確認したけれど、亀の存在は判らなかった。(こういうの苦手なの。目も悪いのだけれど、例えば映像の中に動く影があるとか、いつも1人、分からない。)ただね、泳ぐ亀を見た。夫に後で確認すると、見ていないと言っていた。多分、同乗したあの御一家の誰も見ていないと思う。何も言っていなかったもの、皆。他の人には見えない物が見えるの、私には。

操縦士さん曰く、「ずうっとガラス越しに海底を見ていると船酔いします。」
だから皆時々ガラスから目を離す、そしてまたガラスを見る。この繰り返しで運よく泳いでいる亀を、私は見る事が出来た。何せ船酔いする質だから、最初から気が気ではなかった。もしも吐き気が襲って着たら、窓の外にと考えていた。

取り敢えず無事に30分のクルーズを終え、きらめく川平湾に別れを告げる。
それから中心部に戻り、市場で昼食を摂りお土産を買ってホテルに帰る。
フロントではコーヒーやお茶を無料で提供してくれる。それを持って自室でしばしの休息。バルコニーに出ると、前方には海が広がる。

ホテル名は“イースト チャイナ シーホテル”。 
東シナ海を望むホテル。左前方にはサザンゲートブリッジという橋が掛かり、その先は公園がある。その向こうの海は淡い紫、グレー、エメラルドグリーンと何層もの色味でまるでフランスの画家、モネの絵画みたい。「明日あの公園に行こうよ。」と夫に伝えた。

次の日はホテルからすぐ近くの港から竹富島に行き、戻ってからその公園に行った。公園の外側の歩道沿いには鉄製の柵があり、外側が海で崖になっていた。ふと下を見るとネコが柵の外から来たのだろうか、夫の足首に身体を摺り寄せて現れ、何処かに行ってしまった。ここには何匹もネコがいた。その人慣れしている様子をほほえましかく感じながら、お目当ての優しい色合いの海を眺めながら歩く。

公園内に入ると石碑があった。太平洋戦争時代の突攻隊員の名前が4、5名、出身地と所属部隊と共に記されていた。青森から来た兵隊さんがいた。わざわざ、こんなに遠い石垣島まで舟で連れて来られたのかな? その道中に、命を落とした若者も少なからずいるだろう。こんな南端の島にまで、日本中が戦争一色だった。

旅行から帰り、半月位して思い出されるのはあの穏やかな色調の海と石碑とネコたち。そして残念ながら見る事が叶わなかった、夜空に輝く南十字星。夜の10時30頃が鑑賞のベストタイムだと、ホテルで館内放送があった。夫がインターネットで気象台の、夜空のライブ配信映像を観ていたが星は確認出来なかった。

コバルトブルーの鮮やかな川平湾とまた対照的な、ホテルから臨んだ淡い3層の色の海。
その穏やかな海原を渡った精鋭たち。敵艦までの片道までの燃料しか積まず、武器と化した戦闘機。命を捧げるのが当然と扱われた突攻隊。その戦士たちの人生はあまりにもはかなかった。

白く光る南十字星は、彼らの魂の灯。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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