エッセイ

旅は私の宝箱

私はあなたたちの味方!

空港で待機していたバスに乗り込む。
ここは台湾、台北市。ツアーガイドはゴウさん。小柄な人好きする中年男性だった。目的地に向かう中ゴウさんは、「1999年に起きた地震の時の日本の多大な援助に台湾国民は感謝しています。」とお礼を言う。
(ああそうだったんだ。)などと他人事のように聞いていた私、
(まあとにかく、喜んで頂けたなら良いんじゃない⤴)ゴウさんは旅行中とてもよくガイドしてくれた。この旅行は2泊3日だった。短かいその間に、台湾人の親日さがとても伝わってきた。

宿泊先はシェラトンホテルだった。シースルーのエレベーターがあった。連れの友人と乗り込むと、チャイナ服を着て着飾った女性が母親らしき女性と入ってきた。「花嫁さんかしら?」私は友人に言った。先に降りる私たち、友人がその女性に「ビューティフル!」と英語で声を掛ける。「ありがとう。」と日本語で返事があった。私も「グッドラック!」と続けると「ありがとう。良いご旅行を。」と返された。日本語が分かるのね。旅行中、気を付けなきゃ。日本語が分からないだろうと高を括って変な事を言わないようにしなきゃ。

次の日ホテルを出て外に立っていた。すると何やら言いながら、男の人が私のコートの襟を直す。そのあとも私の顔を観ながら何か言ってどこかに行った。何を言っているのかさっぱりわからなかった。多分台湾人の男性。襟がヘンだった私に身だしなみを整えろという事だったのかしら?私を日本人だと分かっていたかは疑問。でも、見ず知らずの異性の襟を直すなんて、日本人男性にはあまりいない。

この頃(20年前)は九分という観光スポットを知らなかった。夜空に色とりどりの提灯が連なる光景。今なら絶対外せない。あの時の私たちはどんよりと曇天の中、お寺や湖の観光をした。正直、美景とは思わなかった。旅行後に写真を見ると、何故かしら私と友人はブスーっとしている。観光についてはあまり印象に残っていない。今一つという印象は否めない。

ここにもう一つ、特筆する思い出を付け加えるのならそれは“食”

〔何が1番おいしかったか?〕
と聞かれても答えはない。料理は中華。ニューヨークタイムズでも取り上げられた小籠包のおいしいという店、ディンタイフォンにも行った。おいしかったと言うより、びっくりしたのは店のエントランスで飲茶を作っていた事。料理人何人もで。客の出入り口とはさすがに仕切りがあったけれど、(いいのコレ?それとも敢えてのデモンストレーション?)という感じ。小籠包の味はふつう。
それでは何故“食”が印象的だったかというと……。

〔食べる事が楽しかった!〕
この感覚は、この時初めて味わったものだった。
朝食はホテルでお粥や洋食をたっぷり頂く。そのあとのランチはやディナーも、毎回スルスルと胃に入ってしまう。

ツアー旅行の食事はコースになっていて量が多い。胃が疲れたりするものだけれど、この時ばかりは違っていた。ツアーの他のお仲間もそのようだったらしい。中華料理の廻る円卓に料理が供される。私は自分に分を取り、左隣の友人にテーフルを廻す。すると友人の隣の人がにゅうっと手を出しテーブルを自分の方に引こうとする。

(友達はまだなの。ちょっとおー!)
ぎゅうっと引き戻す私。慌てて友達の分の料理をお皿に入れる。中華料理は様々な料理が出てくるから、取る量に自分なりの配分がある。だから人の分は取り分けないのだけれど、この時は事情が違った。

食事タイム以外でも口に食べ物がトントン入ってしまう時があった。それは連れていかれたお土産物屋でのお菓子の試食。ドライフルーツやお茶請けのお菓子がお皿に乗って運ばれてくる。丁度良いおやつの時間。お菓子の甘さは歩き疲れたからだにしみる。ここでもお皿がある人のところからなかなか周ってこなかった。
+
やはり食いしん坊が多いのかしら?台湾旅行の一行は。まあこれも台湾は食が楽しいという証。

【台湾有事】
こんな忌まわしい言葉が今世界に流れている。

かの国、台湾を有事に巻き込もうとしているあの国に行った事はない。けれど海外旅行のホテルや飛行機で居合わせる事があるけれど、何だかねえー。あまりくどくど書かないけれど。
何よりも私がイヤ! あの国と台湾がコラボするなんて。

人好きする台湾人。食事やお茶を楽しみながら毎日をお過ごし頂きたい。
誰に邪魔をされる事なく。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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