47のシアワセを追いかけて
過去の惨禍を他人事にしないために
苛烈な蒸し暑さと長雨がぐずぐずと続いていた7月のある日。
その建物は、広々とした都立公園の一角で77年前の“傷口”を晒すようにして佇んでいました。
西武拝島線 玉川上水駅から歩いて5分ほど。
今も残るこの建物の名前は「旧日立航空機株式会社変電所」といい、かつてこの周辺にあった工場の変電所として使われていた施設です。
戦前、多摩地区には軍需工場が多く、ここではおもに航空機のエンジンをつくっていたといいます。昭和19年の時点で約1万3千人が働いていましたが、終戦間際は日本中のいたるところで空襲が頻発。もちろんここも例外ではなく、昭和20年2月17日、4月19日、24日の3度にわたる爆撃で計111人が亡くなりました。
外壁に残る生々しい銃撃の痕は、そのときのすさまじさを無言で語ります。機銃掃射が容赦なく降り注ぎ、銃弾の痕は屋内の配電盤にまで達しており、いかに逃げ場のないものだったかがよくわかります。
こうした戦争の被害を語る施設は「戦災建造物」として文化財に指定され、今では「西の原爆ドーム 東の変電所」というフレーズとともに、一般公開されています。私が訪ねたこの日も、10~20代の若者たちが年配の市民ボランティアたちによる解説に神妙な表情で耳を傾けていました。
また、この22年7月、訪れてすぐに目を引くのは、建物の前に掲げられた「NO WAR」の横断幕です。これはロシアによるウクライナ侵攻に伴って掲げられたそうですが、海を越えたかの地ではこの何百倍、何千倍ものの被害が今も続いていることを思わずにいられません。
そんなウクライナのニュースですら、数ヶ月もたつと慣れっこになり、他人事になってしまっている昨今、平和ぼけともいえる私たちに強烈な“冷や水”を浴びせてくれる場所がもうひとつあります。
それは埼玉県東松山市にある丸木美術館。有名な「原爆の図」が展示されているところです。原爆の図は、広島出身の画家、丸木位里・俊夫妻が原爆投下直後から長い歳月をかけて描き上げた全15部の連作です。
驚くのはまさに屏風のような大きさと圧倒的なその迫力。
原爆の衝撃によって衣服もはぎとられ、裸でよろよろとさまよう人や力尽きて倒れた人たちを描いた「幽霊」、煉獄の炎に巻かれる「火」、末期の水を求めてさまよう「水」など、いずれも地獄絵図のような場面ばかり。
あまりに衝撃的で、容易には受け止めきれないものの、一方で逃げずに向かい合わなければいけないという気持ちにもさせられるのが不思議です。
丸木夫妻は壮絶なこの連作絵画を描き上げただけでなく、一時は持ち運びしやすくするために掛け軸にし、日本のみならず、アメリカも含めた世界中で展示して回ったといいますから、その労力と情熱にも圧倒されます。
今までに一度も見たことのない人は、ネットでもいいからぜひ見てほしいと思います。そして、ぜひ現物も体感してほしい。
丸木夫妻は原爆の図だけでなく、水俣やアウシュビッツの絵も描いていますし、沖縄の普天間基地に隣接する佐喜眞美術館には、夫妻の描いた沖縄戦の絵もあります。
どれも一様に、つらく悲惨な場面ばかりですが、そこから漏れ聞こえてくる悲痛な魂の叫びに触れずに戦争や核の話はできないと思うのです。いつ自分が同じ目に遭ってもおかしくない。自分が絵のこちら側にいるのはたまたまにすぎないのですから。
プロフィール
杉浦美佐緒
愛知県出身。カメラマン・編集者を経てフリーライター。旅をはじめ、美容・健康・癒し・ライフスタイル全般を幅広く手がける。好きな食べ物は熊本の馬肉、京都のサバ寿司、仙台のずんだもち。憧れの旅人は星野道夫。旅のBGMは奥田民生の「さすらい」~♪