エッセイ

旅は私の宝箱

温かいスープを召し上がれ

「現在、飛行機はクレムリン上空を飛行中です。」
日本語の機内アナウンスが流れた。

もうすぐでロシアのモスクワに着く。クレムリンは要塞。現在は大統領府、付近には旧KGB現在のFSB(連邦保安局)がある。観光するのはここの赤の広場や、ロマノフ王朝時代の博物館。武器庫と言う展示室には鎧や馬車がある。ロシア人は男女とも背の高い人が多い。旅行中も2mはあるのではないか?と思われる男性や、ごつく背の高い女性を時折見掛けた。16世紀から20世紀のロマノフ王朝時代も現代ほどではないだろうが、やはり当時から背が高かったであろう。だから鎧も馬車も大きくて、見栄えがする。兜の陳列を見た時思わず私は「格好いい~!」と言ってしまい、他のツアー客のお仲間に笑われてしまった。けれどこれは私の正直な感想だもの。

ダイアモンドの間という展示室もあって、こちらも楽しみにしていた。けれど時間が無く、武器庫かダイアモンドの間のどちらかしか見学出来なかった。「武器庫はガイド付きだけれど、ダイアモンドの間は自分たちで見学して下さい。」と言う。私は添乗員さんに聞いた。「武器庫とダイアモンドの間、あなたはどちらがお勧め?私見で良いから。」この人は、女性で年は私より2つ位年下。感覚的に似ているだろうと思い尋ねた。この時、他のツアーのお仲間たちがサッと彼女の顔を見る。「武器庫ですね。武器庫と言っても武器が保存されているのではありませんよ。ロマノフ王朝時代の博物館です。」もうこの一言で私たちツアー客一向は皆、武器庫を観ることになった。

『この判断は正しかった。』
と言えるかもしれないけれど、でも見たかったなあー!ダイアモンドの間。
『自分には手に入らないものをガラス越しでも良いからこの眼に焼き付けたい。』
こんな女のサガは男の人には理解出来ないようだけれど…。

けれど、男と女どちらのサガに訴えるものがロシアにはある。
それは“食”
若い頃に、1人で日本のロシア料理店で食事をしたことがある。ボルシチを頂いた。(身体が温まるなあ。)というのが感想で、正直、特段美味しいとは思わなかった。これが私のロシアの食についてのイメージだった。だが、現地に赴くとそのイメージは大きく変わった。

この旅は食事が全て付いているツアーだった。現地旅行会社からの要請だと思うのだけれど前菜から始まりスープ、メイン、デザートと、一応コースになっていた。レストランは個人なら入店しないような、地味な雰囲気。間口が狭いけれど奥行は広い。こういうお店で食事が出来るのはツアーの強み。欲を言うのなら、スープをもっと飲みたかった。予算の関係でカップに少ししか入っていなかったから。ボルシチは言ってみればビーフシチュー。サラサラなのに物足りない感じがしない。最後はカップに口をつけて飲み干した程。シチーというスープも美味しかった。色々な魚や野菜が入っている。記憶で言うと、サムゲタンのようなお味。
「何でだしを取っているのかしら?」
と言っている人がいた。
たくさんの魚や野菜が入っているのだからだしが出るのは納得いくけれど、わたし的にはあの鶏肉でだしをとるサムゲタンだもの。深い嫌味の無いあの味のスープを飲んだら、調理法まで知りたくなる。スープの後のメインも美味しかった。けれど私はデザートについて語りたい。何故なら…。

ロシアでは、ランチが最後の食事となった。この時のデザートがチョコレートケーキだった。私はケーキの中で、チョコレートケーキが1番好き。但し、中が黄色いスポンジケーキでまわりをチョコレートでコーティングしてあるものに限る。けれどこのタイプのケーキは、日本でもほとんど見掛けなくなった。それをロシアで、しかも最後の食事で頂けるなんて!

『やってくれるぜ!』
あの時の私の心はこう叫んでいた。

チョコレートケーキの味は普通だったが、あの仕様のケーキをサービスするセンスがエクセレント! スープから始まってデザートに至るまで、食を熟知している。ちょっと上からの言い方かな?まあ良い。それ程満足したんです。

なんと言ってもまず私が、ロシアの食がこれ程に豊かだとは知らなかった。日本に帰ってから人に話しても「そんなに美味しいんですか?ロシア料理って。意外ですねえ。」と皆言う。

【自国の素晴らしさをもっと世界に広めようヨー!】

切に思うわ。勿体無いわよ。あんなに料理人がいい仕事しているのに。食ばかりではない。モスクワにはクレムリン、サンクトペテルブルグにはエカテリーナ宮殿やエルミタージュ美術館もある。中世や現代の職人たちの偉業を外国にアピールし切れていない。やりようによってはもっと外貨が稼げるのに。

この旅はおよそ10年前の事。
今、この原稿を書いているのは2022年の6月。そう、ロシアのウクライナ侵攻をテレビが放映している。

〔他国への侵略〕
そうとしか諸外国は思っていませんよ。我が国日本だって、第二次世界大戦末期のロシアのやり口には腸が煮えくり返っている。人のモノを力づくで手中に収めようとするのが常套手段なのね。戦禍の痛ましい映像を観ながら思い出すの。中世のロマノフ王朝時代の素晴らしい遺産の数々。現代の、あの美味しい食事。とにかく勿体ない。

今も、大統領の支持率が極めて高いロシア。徹底的に国民を管理、支配している。ロシア国民達は自分たちの未来の為と、この侵略戦争を思い込まされているのかしら?

当然、戦争はイケないのだけれど隣接する南部のウクライナを我が物にという考えは少なからず理解出来る。ロシアは広大だけれど、目に浮かぶのは寒々とした大陸。寒い国だからこそ料理に手をかけて、あの様な美味なスープで人々は心や身体を温めているのだろう。

けれど今、暖めてあげなければいけないのはウクライナを追われた人々や戦禍の中を逃げ惑う人。そして前線で戦っている兵士たち。それが出来るのはあの素晴らしい遺産や美しいと言える程の食文化を持ったあなたがたロシア人。

早く気付いて。
傍から見ればうらやましい程恵まれている自分たちに。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

写真
このシリーズの一覧へ
エッセイをすべて見る
47PRとは
47PRサービス内容