エッセイ

信号はMIDORI色。さあ、渡ろ。

異文化体験の一日目。町に響くアザーンと即決の昼食シュワルマ

私の中東での住まいがいよいよ始まる。到着したのは深夜というより、もうそろそろ夜明けだった。

ムスタファたちは乱雑にスーツケースを部屋のど真ん中に置き、いつの間にか消えてしまっていた。し~ん、と静まり返った部屋。こんな時間にスーツケースを開ける気力はもうない。長時間待たされた空港で体に沁みわたってしまった冷房で、キンキンに冷やされたこの部屋の冷気をそれ以上感じなくなってしまった。慣れとはよく言ったものだ。それより、いまはただ疲れ切った頭をなんとか持ちこたえているような自分だった。立ったまま部屋をぐるりと見渡した。「ああ、しんど」と心の中で呟いていたのかもしれないが、それすらも感じていなかった気がする。

さてキッチンは、と電気をつけた。これから私の食生活を支える台所だ。欧米人規格のサイズのキッチンのシンクは床からの高さが不便さを感じさせた。だが、それを除けば今まで住んでいた東京のマンションより、はるかに整っていて素敵だ。たくさんあるキャビネットの引き出しを全部開いてみたら、料理に必要な道具類はすべてそろっている。種類の違ういくつかの包丁、大きさの違うお鍋やフライパン、お玉、マッシュポテトをつくるときに使うマッシャー、泡立て器、皮むき器もある。すご~い、すべてが新品だ。

電源がはいっている冷蔵庫は微かにブーンという音を出している。 どデカい!10人家族分の食材がゆったり入りそうな大きい冷蔵庫の扉をヨッコラショと開けた。 

その外観に反して、なんと中には真っ赤なリンゴがたった1個、とペットボトルの水が1本。本当にささやかなおもてなしの食糧だ。「う~ん。明日は朝一で何か食べに行こう」それからベッドに入ってからの記憶はまったくない。

この家に到着してから数時間は眠れたようだ。しかし目を覚ましたのではなく、起こされたのだ。窓ガラスの外からは早朝にあるまじきマイクを通した大きな声が聞こえる。何を言っているのかさっぱりわからないが、まるで怒っているような強い語調もあり、逆になだめるような優しい語調のときもある。カーテンを閉めた窓から聞こえる大声は、私にとってはまるで頼んでもいないのに突然ホテルのフロントからモーニングコールを受けたかのように、不意に目覚めさせられたのだった。「なに?」カーテンを開けて外を見た。だれも外を歩いていない。

イスラム教の中東で祈りの時間を知らせる「アザーン」だったと後になって知った。祈りのための教会「モスク」から朝の3時か4時台になると音が割れんばかりにスピーカーから礼拝の時を知らせるのだ。私たちの土曜日と日曜日にあたる休日は、中東では金曜日と土曜日なのだ。その金曜日の朝からイスラム教徒、特に男性は、最低で1日1回はモスクに行ってお祈りをするのだ。

昼近くなり、やっと体も動けそうな気分になったのでついに外へ出てみた。
歩いて5分ぐらいのところに、ちょっと古い小さいショッピングアーケードがあった。その一階部分は小さな商店が軒を連ねている。土産用のアラブカーペットの店、駄菓子と雑貨の屋、水パイプ用の葉タバコと喫煙具の屋、イスラムの女性にとっての必需品であるスカーフを売っている店、香水を入れる綺麗な小瓶を売っている店、パンを手作りで売っている店など、なんでもありのアーケードだ。

私は、その中の一つの店に目を奪われ、ここで食べたいと即決した。
「シュワルマ」と呼ばれる食べ物だ。立てた太い串に鶏肉を何重にも巻き付けて、縦型グリルの前でグルグルと回しながらあぶり焼きにし、外側の焼きあがった部分をそぎ切りして食べる。そぎ切りしたその肉をフライドポテト、ピクルス、野菜、ヨーグルトとガーリックを混ぜたペーストと一緒に、丸い形の平べったいパンで巻いて作るロール型サンドイッチだ。

イスラム教では豚肉を食べない。そしてこの国に多く住むインド人、つまりヒンデュー教徒は牛肉を食べない。だから一般的にこの国で食べる肉類は鶏肉と羊肉に決まっているのだ。飲み物は炭酸飲料のほかに、アボガド、ザクロ、パパイヤ、イチゴ、スイカなどをミキサーにかけたフルーツジュースがある。私は初体験のチキンのシュワルマと憧れのアボガドジュースを注文した。

シュワルマを作る手作業も早業ですごいが、色とりどりのフルーツが無造作に陳列されて、ちょっと汚れたショーウィンドウもなぜか地元感を感じさせた。もう太陽は真上に昇っている時間なのだが、炎天下でも店の外にはテーブルとイスが置いてある。 私はそこに腰かけて、初めて食べるシュワルマと憧れのアボガドジュースをすぐに口にした。「うわ~、おいしい~」感激のひと時であった。

プロフィール

MIDORI

大阪府出身、現在は川崎市在住。大学在学中のウェイトレスアルバイト時代にお客さんから言われた「MIDORIちゃんの笑顔とおはようございますがいつも気持ちいいね」の一言が長く海外ホテルの仕事に就くことになるきっかけになったのかも。23年に渡る海外生活はアメリカ、台湾、中東、中国、マレーシア、特に中東のドバイは10年間もの滞在になりました。「迷っているなら、とにかくやってみよう」スピリットで、現在は仕事の傍ら、ある国家試験に向け猛勉強中。好きな食べ物はポップコーンと白ワイン。

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