エッセイ

旅は私の宝箱

のり弁と呼ばないで―神奈川県―

最近夫の帰りが遅いのよ。だから夕食はお弁当にしているの。ご飯はのりだんだんにして。」
「のりだんだんってなに?」
「えっ!知らないの?ご飯の上に醤油をまぶした海苔を敷き詰めるのよ。それを何層かにするの。」
「あぁ、のり弁の事ね。」
「違う!のり弁ではないの。のりだんだんよ。」

以前この様な会話を愛知県の豊田市のパート先で交わした記憶があります。この時初めてのりだんだんを日本全国民が知っているわけでは無いという事を知りました。驚いた私はその日の晩、早速インターネットで調べました。すると、のりだんだんは神奈川県横須賀のソウルフードだと記載されていました。私が生まれ育ったのは横浜市南部の金沢区という所で横須賀市と隣接しています。そのせいか子供の頃から母は時折お弁当をのりだんだんにしてくれました。はっきり覚えてはいませんが、学生時代の友人ものりだんだんのお弁当を持ってくる人がいたと思います。成人してお勤めをしていた時、同僚が自身で作ったお弁当をお昼休みに広げました。ご飯はのりだんだんでした。「わたし、子供の頃お弁当がのりだんだんだと嬉しかったな。」と言うとその同僚は「私は今でも嬉しい。」そう、大人でもワクワクするのです。

ここで知らない方のためにのりだんだんの作り方を紹介します。と言ってもとても簡単なのですが…。海苔を食べやすい適当な大きさに切ります。次に海苔の片面に醤油をやや多めにまぶします。それをご飯の上に敷き詰めます。それを2層以上にします。これだけです。「おいしそうね。おかかをまぶしても良いじゃない。」と言った人がいます。好きずきでしょうがそれは私に言わせると邪道です。海苔と醤油とご飯の段々がのりだんだんです。朝作ったのりだんだんは、お昼時にお弁当箱を開けると何とも香しいかおりが広がり、空腹を刺激します。海苔はつくだ煮のようになっています。たまにその海苔が、弁当箱のふたにくっついていることがあります。その時は注意深く海苔をはがし又ご飯の上に載せていただきます。

のりだんだんが生まれた横須賀は、現在の我が家からも車で30分ほどの距離です。国道16号を南に下ると横浜から横須賀に入ります。この市の境で町の様子はさあっと変わります。隣接する横須賀北部は追浜という町で、とある自動車メーカーがあります。以前は活気があったであろう商店街は今、少しうらぶれた感じがします。昔私は追浜に何年か住んでいました。おっぱまは(おいはまではありません。)横浜駅までも特急電車で30分位の比較的便利な場所ですが頑なに変わるのを拒んでいるかのようです。立ち飲み屋でやけにお洒落なおじさんが1人で飲んでいたり、今もあるのか?まぐろの刺身だけを売っている魚屋さんがポツンとあったり…。大分前の事なので私の記憶も曖昧なのですが。今は車で素通りしているこのあたりは、後ろ髪を引かれる想いの場所です。

そして16号を更に南下すると横須賀です。左手に海を臨み、基地で働く外国人居住のマンションなどがあります。スーパーはアメリカ人用にも品揃えをしていてひとときでも日本では無いような錯覚を覚えます。さらに進むとアメリカ人ばかりが集うバーがあったり。海の向こうの雰囲気です。神奈川は海沿いの湘南が有名ですが是非1度、この日本の頑固な古さやアメリカの香り漂う三浦半島のドライブを楽しんで下さい。お昼用にのりだんだんのお弁当を携えて。

プロフィール

古野直子

横浜生まれ横浜育ち。結婚後10年以上夫の転勤で愛知県豊田市に居住。2011年に横浜に戻る。趣味は旅行。これまでの旅で印象深いのは、岡山の大原美術館、海外ではスペイン、ロシア。

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